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zoom RSS 道徳性教育のための自主編成運動 佐貫氏の道徳教育論から学ぶ

<<   作成日時 : 2015/07/03 21:24   >>

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 教育科学研究会委員長の佐貫浩氏が『道徳性の教育をどう勧めるか−道徳の「教科化」批判』という本を出版された。精力的に安倍内閣の教育政策批判を展開している佐貫氏が、今年4月から始まった新しい「道徳」教育体制について、建設的な批判を行っている。
 文部科学省は学習指導要領を中途で変更し、正式実行は2018年だが、今年からやってもよいというような、実に権力迎合的な行政を展開しているのである。もともと、道徳教育の好きな安倍首相であるが、大津のいじめ自殺事件を利用して、教育委員会の改編と道徳教育の強化を目論んだ結果が、既に実行に移されている。
 さて、道徳教育の変更の柱は、教科にすることにあるが、教科にするとは、検定教科書をつかわせること、成績をつけることに本質がある。そして、両者とも国民感情としては、反対が強かったはずであるが、そんなことは意に介しないようだ。しかし、成績をつける段階になれば、現場は非常に困るだろう。特に、成績が進学の資料になるわけだから、道徳、つまり、人間性を進学の材料にすることになる。誠実な教師なら、耐えられないのではないだろうか。以前愛知県で、人間性を相対評価させ、それを高校入試の重要な資料としたことがあったが、強い批判を受けてやめることになった。文章による評価といっても、正式な教科の評価である以上、現場に混乱をもたらすことは必至である。
 さて、新しい佐貫氏の著作は極めて重要なことを主張している。それは、検定教科書であろうと、道徳教育の内容を、自主編成運動の対象として、徳目主義ではない教育実践にするという点である。もちろん、これは、とても難しいのだが、非常に重要な観点であるように思われる。難しいのは、現場の教師がそのような取り組みをするだけの力量と意欲をもっているかという点であるが、教師としての良心があれば、自主編成的観点の立場にたつのではないだろうか。
 では自主編成的観点とは何か。これについては、私見を述べたい。
 戦前の道徳教育や、自民党政府が目指していると思われる道徳教育の特質は、「徳目主義」である。ある培うべき道徳内容を、項目として定式化して、それを自分の価値観として内面化させるのが、徳目主義の道徳教育といえる。しかし、政府の政策に批判的ではない教師、校長にとっても、注入的な徳目主義を表立って主張することはあまりない。徳目主義は、あまりにも、注入主義的であり、普段主張している「生きる力」とか、考える姿勢とかに矛盾するからである。したがって、道徳教育といっても、徳目をそのまま受け入れるのではなく、しっかりと考えさせ、多様な見方があることを理解させることが重要だ、という程度のことは、ほとんどの現場の教師、校長等が主張している。
 先日、私は、教育実習生の研究授業を見にいった。道徳の授業を研究授業にしていて、教材は「手品師」だった。前にもブログに書いた記憶があるが、実は2年前にも同じ教材で研究授業をした実習生がいて、それも見学していた。5年生教材の定番の教材になっているらしい。(実習生の授業としては、よく準備されていて、決して悪くはなかった。)
 ある売れない手品師が夕方帰宅途中に、悲しそうな少年にあい、母親が帰ってこないので待っていることがわかる。励ますために、手品をみせると大いに喜び、またみせてくれというので、明日も来ると約束をする。しかし、帰宅すると友人から電話があり、明日大劇場に出演するはずの手品師が急に不都合になったので、ピンチヒッターで出れるように推薦しておいたから、きてくれという。迷ったが、手品師は、重要な約束があるかと断り、翌日少年に手品を披露したという話である。
 これは、道徳教材として、非常に優れたものだと、私は思う。コールバーグのジレンマ教材として、小さい年齢から、大学生くらいまで十分に教材としての役割を担える内容を備えている。
 しかし、5年生くらいの子どもに対して、未熟な教師(実習生は教師以前の段階だから、未熟だといっても失礼にはあたらないだろう。未熟で当然なのだから。)がやると、典型的な「徳目主義」の授業になってしまう。その徳目は、「約束を守ることは大切だ」というものである。ピンチヒッターのオファーを受けるか、子どもに手品をみせるという約束を守るかという選択を子どもにせまり、当然、子どもの圧倒的多数は、子どもとの約束が大切だという主張をして、そうだよね、約束は大切ですね、という「落ち」になるわけである。
 しかし、5年生の子どもたちのなかには、たいてい、そういう決まりきった、押しつけ的な結論に違和感をもつ子どもがいる。今回の研究授業でも、手品師にとって、大劇場に出るのは夢なのだし、仕事なのだから、そちらを優先して、翌々日にも子どもがいるだろうから、そこで事情を説明すればわかってもらえるのではないか、という意見が出た。しかし、当初から、それは結論ではないために、無視されてしまう。研究授業だから後ろで見ている教師たちがいて、その教師たちは、そうした意見をもった大切にすべきではないかと、あとで批評をいっていたが、中学生や高校生になれば、もっと多様な意見がでるだろう。約束といっても、少年と約束しただけではなく、友人が電話をかけてきたのは、「何か仕事があったら紹介してくれないか」「うん、じゃ、君に真っ先に仕事を回そう」という友人と手品師の間に約束があったからに違いない。掘り下げてみれば、この話しは、少年と手品師との約束だけではなく、約束はふたつあり、どちらの約束をとるか、という問題が真実であり、決して、「徳目主義」の「約束は大事だ」という道徳では処理しきれない素材を含んでいるのである。
 更に考えれば、道徳の徳目のなかに、必ず「仕事を大切に」「仕事意識を高くもとう」「職業のためにはしっかり準備をしよう」とか、いろいろな職業や仕事に関わる道徳的徳目もあるはずである。この観点から、この教材を見てみよう。「何故、この手品師は、仕事がないのだろうか」という問いを設定してみる。すると、やはり、「甘さ」がすぐ目につく。いつ仕事が舞い込むかわからないのに、そんなことを少しも気にかけず、子どもと明日の約束をしてしまう。そして、もし仕事があったとしても、少年への連絡方法も確認していない。こうした甘さこそが、この手品師の「売れない理由」なのではないか。では、このときどうしたら、手品師は仕事と少年の約束を両立できたのだろう、と考えることができる教材でもある。
 優れた教材は、ある「徳目」のためにつくられていても、決して、一面的な徳目の押しつけでは済まないもっと深い考える素材を含んでいるものである。そして、道徳副読本でも、そうした教材は豊富にあるだろう。それを表面的な徳目的教育ではなく、子どもたちに深く考えさせる教材として活用できれば、佐貫氏のいう「道徳性の教育」になりうる。それが佐貫氏の自主編成運動として機能するはずである。
 発展性のない教材であれば、その欠点を子どもたちに考えさせることもできるはずである。
 必要なことは、「手品師」の教材で、安易に「約束が大切だ」というレベルでの授業を、もっと掘り下げた、別のいい方をすれば、子どもたちが実際にもっているもっと深い理解を引き出せる力と姿勢を、教師たちに、身につけさせ、その地平で子どもたちとのコミュニケーションを通して、道徳性の涵養を促進できるような教師に成長させていくことである。そのような観点をもっと押し出すことが、安倍内閣が行っている道徳教育の欺瞞的な側面を、逆手にとって、本当に必要な道徳性を涵養する教育をつくっていくことを実現する道だろう。

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