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zoom RSS 広島のスキー事故から考える

<<   作成日時 : 2016/02/06 15:24   >>

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 2日に広島県のスキー場で、小学校の授業として滑っていた6年生の女子に、スノボをしていた38歳の男性が衝突して、女子が死亡し、男性も重症を負う事故があった。大変不幸な事故で、亡くなられた児童には、謹んで哀悼の意を表したいし、重症の男性の回復を祈りたい。毎年かなりの事故がスキー場では起きているようだが、この報道のなかで気になる談話があった。それは「安全であるはずのスキー教室で・・」というものだ。私はスキーをしたことがないが、それゆえの偏見かも知れないことを承知で、スキーは危険なスポーツだという印象をもっているから、「安全なはずの」という意識がなぜ起きるのか不思議なのだ。おそらく学校が授業として実施しているスキー教室なのだから、安全なはずだという意識なのではないかと想像する。しかし、教育について普段学んでいる私の感覚からすると、学校が授業として実施しているスキー教室だから、安全性に疑問がある。小学校の教師になるために学ぶカリキュラムのなかに、スキーに関することなどは入っていない。スキーが日常的に盛んな地域の大学で学んだ学生ならば、体育の科目にスキーが入っていたかも知れないし、また、スキーについての知識が豊富かも知れない。しかし、そうした教師が多いはずはない。いくら学校が安全を期して授業を設定したとしても、スキーの専門的指導能力がある人ではない教師が、一般客もいるなかで授業をして、安全が確保されるはずがないのである。
 こうした事故が起きるたびに、私が思うのは、現在の学校は、あまりに余計なことをひき受けすぎているという点である。教師自身が「ひき受けるべきだ」という意識をもち、親もそれを望む。そして、学習指導要領でも、そうした特別活動あるいは学校行事をを重視しているから、疑問をもっている教師がいても、そうした意見は通りにくい。学校現場には、そうして危険な要素がどんどん増大しているのである。柔道、組体操、長距離走、そして、こうしたスキー教室。
 日本の学校には、いくつかの特質がある。
 第一に、「みんな一緒にやってこそ意味がある」「そこで団結心を培うのだ」という感覚。
 第二に、スポーツは危険だという意識が希薄であること。逆にいえば、緊張感があれば、危険は回避できるという錯覚。
 第三に、危険なスポーツでありながら、段階に応じた指導体制をとらない体質。
 こうした感覚で行われている学校でのスポーツ関連の行事には、危険が常につきまとっているのが現実であって、「安全なはずだ」というのは、錯覚にすぎない。そして、にもかかわらず積極的に行うことが、学校としての職務であるという錯覚が、危険なスポーツ行事をますます盛んにしている現実がある。それに疑問を感じている人たちは少なくないが、しかし、疑問を感じる主な層は、そうしたスポーツが苦手な人たちが多いので、声を出しにくい現状がある。親もそうだが、教師はもっとそうした傾向が強い。そもそも、運動会が大嫌いだった人たちは、あまり教師を目指さないし、また、なったとしても、管理職にはあまりなりたがらない。教師、校長などの管理職、教育委員会に入る指導的教師と、だんだんスポーツが得意だった者が多くなる。だから、市をあげてスポーツを盛んにするというような「教育行政」が横行するのである。もちろん、スポーツが盛んであることは、とてもいいことだ。しかし、実施する場所や形態を考慮しないスポーツのあり方は、どうなるのか、この事故が教えているのである。
 本来スポーツは危険なものであることを考慮すれば、以下のような原則を適用すべきなのである。
 第一に、そのスポーツを自ら欲する者が行うこと。つまり嫌な者には強制しないこと。
 第二に、そのスポーツの楽しさと危険な側面を十分に理解し、適切な指導能力がある専門家が指導をすること。
 第三に、安全に配慮された施設と時間を充足したなかで行うこと。
 これでみれば、義務教育である小学校で行う場合、今回のような学外でのスキー教室は、「授業」として行うことは間違っていることになる。しかも、一般のスキー客と一緒であり、かつスノボもできる場であるとしたら、施設的な安全性が十分ではないことは自明だ。スキーの専門家が指導をしていたかどうかはわからないが、おそらく否であろう。こうした授業は普通にあるし、また、教師自身や親が強く望む場合も少なくないようだ。このスキー教室もおそらく親から歓迎されていたのだろう。しかし、だからといって、義務教育でのふさわしいやり方であったかは別問題である。部活の場合には、原則の第一はクリアしているが、ほとんどの場合には、第二・第三の原則は満たされていない。だから、やはり、部活でも事故が多いのである。
 現在の義務教育学校で、上記の条件を満足して、危険が伴うスポーツを、「授業」として実施することは不可能であるとという、冷静な認識をもつ必要がある。
 この事故で死亡した女子児童は、スキーがとても得意な子どもだったという。だからこそ危険が大きかったのだろう。そのことの意味を、教育行政の関係者や、子どもをもつ親、そして教師は、よく考えるべきだ。

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