教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 郊外での名札が危険なら、名札そのものを廃止すべきである

<<   作成日時 : 2016/04/10 21:32   >>

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

 産経新聞2016.4.10によると、埼玉県朝霞市で起きた少女誘拐事件を受けて、さいたま市教育委員会が、週明けにも、児童らの登下校時に名札を外させるよう各小学校などに通知する方針を固めたという。あわせて少女が保護を求めた講習電話についても使用方法を指導するよう求めるということだ。容疑者が、少女宅の玄関の傘で名前を確認し、帰宅した少女をフルネームで呼び連れ去ったとされることが、こうした措置の理由である。さらに、名前が書かれた荷物を校外で持ち歩く際は記名された面を内側にするように求め、個人情報が記された書類の管理徹底を呼びかけるのだそうだ。これまで小学校ごとに対応が分かれていた校外での名札のつけ方について、統一基準が必要と判断したということである。
 こうした記事を読むと、いまだにこんなことになっているのかと暗澹たる気持ちになる。名札の問題は、以前からずっと議論の対象になっているが、私が子どもの小学校のPTA役員をやっているときのことが思い出される。その時期に、宮崎勤の事件が進行中で、それがきっかけで名札問題を議論した。そうした事件が起きるたびに蒸し返される問題なのである。
 多くの親の意見は、名札全廃論であった。名札は意味がないだけではなく、危険だという理由である。子どもに対して、何か悪いことをしようとして近づく者は、当然のことながら、名前を呼べば、その企てが成功する確率が高くなる。だから、子どもが外を歩いているときに、名前を知らせるようなものは一切つけさせないようにすべきであるという意見だ。しかし、こうした見解に対して、校長が言ったことは、いまだに忘れることができない。
 「もし子どもが校外で事故や犯罪にあって、死亡したりしたとき、名札がなかったら誰かがわからないでしょう?」
 それまで、どうやって危険を回避するかという議論をしているのに、学校の責任者である校長がいったことは、危険から最悪な結果が起きたときの、人物確認のために必要だというのである。私たち親は、議論する意欲を喪失した。この人には何を言っても無駄だと感じたわけである。さすがに、こういう校長のいる学校だから、学校で名札をつけていなかったら、教師に怒られるだろうから、名札はもたせたが、外にいるときにはつけないように子どもには言い含めた。
 次に意味がないということについてはどうか。私が子どものころは、もちろん名札などつけていなかった。いつからつけるようになったかは、よくわからないが、つけさせる理由は、教師の都合で、名札がないと名前がわからないということのようだった。もちろん、担任のクラスの子どもたちの名前は覚えているだろうが、クラス以外の子どもの名前までは覚えられないから、名札がないと困るというのだ。しかし、教師たる者である以上、クラス以外の子どもの名前を覚える手段はあるし、また、十分に可能だろう。それでも覚えられず、名前を知らない子どもがいたら、話しかけるときに、名前を聞けばよいだけのことだ。名札があれば、それをみて、ちゃんとわかっているという態度に出られるというのは、大人の錯覚にすぎない。名札をみて、名前を言われれば、子どものほうはそれに気づくし、「ああ、この先生は、私の名前を知らないのだ」と認識するだろう。それをさも知っているようにごまかしていると思われるのがせいぜいのところだ。逆に、名前をしっかり覚えたいという教師の意見は、名札があると、名前を覚えにくくなるというものだった。つまり子どもたちの名前を覚える意思がない教師が、名札を必要と感じているのである。
 持ち物についてはどうだろうか。学校で使うものは、多くがみんな同じ物だから、誰のものかがわかることは必要だろう。しかし、それが名前である必要がどこにあるだろう。それぞれが勝手に決めた符号で十分である。
 そもそも、こういう通達をだしたり、名札が必要だと思っているひとたちは、子どもが、校外で確実に、名札を外したり、また、持ち物の名前を内側に隠したりすると思っているのだろうか。そもそも、名札がないと名前を覚えられないなどという人が、子どもはしっかり確実に、そうしたことをできると思うのが不思議である。名前が見知らぬ者に感知されることは、危険なことなのだ。それはさいたま市教育委員会のひとたちもわかっているらしい。それなら、それを確実にするためには、名札を全廃することこそが正しい方法である。また、持ち物についても、所有者を識別するために、名前でなくても十分である。
 さらにもうひとつ。子どもたちが学校で使うものを、みんなが同じものである必要はない。体操着や鞄など、別々でも教育的に構わないはずである。同じものにすることは、買わせることだから、それだけ家計に負担をかけることになる。そういうことに無神経であってはならない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
ナイス ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
郊外での名札が危険なら、名札そのものを廃止すべきである 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる