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zoom RSS 森友問題などにかまっている場合か、という意見もあるが

<<   作成日時 : 2017/04/05 21:37   >>

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 かなり前に書いた文章だが、やはり掲載することにした。

 森友学園問題は、まだまだテレビでも続いている。安倍応援隊による多数のインターネットの書き込みは、こんなくだらない問題に係わっているのではなく、もっと重要な問題がある、北朝鮮の核とか、中国とか。野党やメディアはいいかげんにしろと。
 しかし、応援隊がくだらないという森友学園の、国際的にみればいかにも小さな問題すら、解決の方向にもっていくことができず、むしろ、安倍首相自身の言動によって、問題が拡大してきたのが実態だ。こんな些細な国内問題(かどうかは別として)すら、処理できないのに、大きな国際問題など対応できるのか、ということこそ、今まじめに考える必要がある。
 応援隊は、安倍首相が大きな業績をあげてきたようにいっているが、本当だろうか。得意らしい外交にしても、これまで極めて重視してきた問題、北朝鮮の拉致問題、ロシアとの領土問題で、大きな失望を国民に与えたのは、記憶に新しい。拉致問題では、ひそかにスウェーデン等で話し合いをもち、前進が期待できるということで、制裁を一部解除して話し合いに臨んだにもかかわらず、まったく進展がなく、北朝鮮にしてやられた感じしか残らなかった。昨年の北方領土問題は、プーチン大統領との会談で、一歩前進することが当然視するような触れ込みであったが、次第に困難さを強調するようになり、結局は、地元の山口での会談をセットしたにもかかわらず、大幅な遅刻をされ、馬鹿にされたような印象だった。もちろん、成果などなく、ただ「経済協力させられた」印象が残った。そして、最も深刻だったのは、イスラム国に人質にされた日本人二人が、安倍首相の不用意な発言もあって(それが唯一の原因とはいわないが)処刑されたことだ。中東の難民等への援助をすることは、大事だったと思うが、わざわざイスラム国を刺激するような発言を行い、(アメリカへの配慮だろうが)日本への敵愾心を煽ったことは否めない。
 応援部隊は、アフリカや南米等への訪問で着実に成果をあげているといいたいかも知れない。しかし、応援部隊でもない目から見ると、単にお金をばらまいているだけで、しかも、中国の後手をいっているから、特に大きな成果と結びついているようにはみえない。
 つい最近の出来事でいえば、帰国させた駐韓日本大使を結局再び赴任させたが、帰国させた理由が解決したかというと、まったく何も変化していないのである。帰国させて圧力かけてみたけれど、そんな圧力はまったく韓国には伝わっていない。これが安倍外交の実際ではないか。
 大学にいる私からみると、はっきりと間違ったことを国際社会に述べ、日本でのマイナスとなっていることがある。安倍首相は、確かスイスで、大学教育の問題にふれ、基礎研究ではなく、実用的なことに資金を重点配分していく政策を押し進めるような話をしたことがある。実際に、大学等の研究教育への支出が、先進国で非常に低く、多くの大学の研究環境が、悪化していることはつとに指摘されている。これに直結するとは単純にはいえないかも知れないが、近年、日本人による論文公表が目立って少なくなっているとされる。研究費がなければ、研究はできないのだから、基礎研究を軽視すれば、論文が減少することは、自明のことだろう。以前より、日本人のノーベル賞受賞者が増えているが、これはあくまでもかなり以前に教育を受け、研究を進めた人たちの業績である。基礎研究費が伸びず、軍事研究の費用が激増していることも指摘されている。国力を底上げするのは、決して軍事研究ではなく、基礎研究なのである。
 経済がよくなっているというような宣伝もなされているが、一部そのような部分があるのだろうが、実際に生活し、あちこちをみていると、多くは貧困へ近づいているのではないかと感じられる。
 安倍首相をみていると、アピールしたい、自分の業績を示したい、そのためにとにかく、努力はしてみる、そうしてうまくいきそうだと楽観視し、既に達成できたかのように宣伝する。しかし、相手のほうが一枚上で、うま味はもっていかれてしまう、こういうことの連続であるようにみえる。はっきりいえば、能力が低いのだ。森友学園問題を、「私と妻がかかわっていたら、議員もやめる」などと放言して、事態を悪化させてしまった経緯をみれば、それは疑いようがない。
 世界に問題が山積していることは事実だが、もっと有能な指導者に代わってほしいと思う。籠池なるまっとうとはとうていいえない人物に、振り回されてしまった総理大臣って、何なのか。

 とはいうものの、もうひとつ無視できないことがある。それは、結局、森友問題で、安倍内閣のだらしなさが意識されているが、しかし、右翼内部の争いであり、野党が籠池の味方であるかのような構図になって、この過程で、教育勅語などの宣伝がずいぶんとなされている。そもそも教育勅語を暗唱させる変な幼稚園だったのに、例によって教育勅語のどこが悪いという意見が、また復活していることは、見逃すことはできないだろう。
 私は、一年に一度、教育勅語に関する講義を全文を読ませた上で行うが、もちろん、教育勅語の本質は、天皇主権の下に、天皇が価値の押しつけを「臣民」に対して行ったことであり、その要求される「臣民の質」の本質的価値観は、いざというときには天皇に命を捧げるという部分にある。「教育勅語」はある時期の歴史的影響力をもった文書であるから、「改新の詔」とか、「貞永式目」「武家諸法度」「慶安の御触書」「五カ条のご誓文」などと同列の文書として教えれることは、意味があると思っている。そして、日本を悲惨な戦争と敗戦に導いた要因のひとつとして。
 「教育勅語」は、「尊皇攘夷」とダブって私には写る。「尊皇攘夷」論は、本当に政治を動かしている人たちにとっては、単なるスローガンであり、実際には実行するものではないことは認識されていた。しかし、そうした幕府を倒すための偽のスローガンであることを理解できず、本気で信じてしまったひとたちの中には、実際に外国人を殺害したり、あるいは開明的な人物を殺害したりしてしまった人物もいる。外国人を殺害した場合には、莫大な賠償金を幕府が支払わされることで、国力にとって大きなマイナスとなった。また、有能な人材が多数殺害され、次の時代をになうべき多くの人が失われた。そして、尊皇攘夷の中心のひとつだった長州藩は、イギリスからお金をもらって留学生を送ったりしていたのである。
 「教育勅語」も同様だろう。「義勇公に奉じ」させられた若者は、たくさん特攻隊員としてなくなったが、特攻隊を考案し、実行させた人たちは、特攻隊員として出撃などしなかったのである。こうした裏表は現代の「天皇主義者」にもいえる。至高の天皇といっても、実は自分の描く天皇像であり、それは実在の天皇を尊重するものではない。現在の天皇が、国民への責務を果たせなくなったら退位したいと公表したときに、天皇は奥にいて、神秘的な存在としていればよいのだから、国民への責務など関係ないというような見解が、保守層から出たが、これが典型的な見解である。要は、天皇は自分を主張することなく、「我等のいうようにすればよい」というのが、「教育勅語」信奉者の倫理であり、天皇観なのである。
 このような「表の主張」と「本当の狙い」を区別することが重要であり、「教育勅語」の本質的な意味を、正確に多くの人に理解させることで、教育勅語に基づいた教育などを、決して許さないようにしなければならない。
 私は現在の天皇が、憲法的な天皇のあり方を自ら実践し、国民に対する責務を誠実にはたしていることを尊敬しているし、また、だからこそ、国民の多くが世論調査で「退位」を支持しているのだろう。そうしたあり方と教育勅語は、まったく相いれないものである。

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