大学教師は「教育」のために存在する?

 大学教師に求めることについて、毎年「大学教育」というテーマでの講義のときに学生に意見を求める。年々、研究をしっかりやっている教師の講義がよい、という回答は減っており、その変わり、ちゃんと「教育」的方法をしっかりもって、分かりやすい授業をするのがよい、ということと、また別であるが、「相談にのってくれる教師」を求める学生が増えていることに気づく。所属している学科の分野の影響もあるかと思うが、私が学生であった頃はもちろん、教師になったときにも、「親身に相談に乗ってくれる」という教師像を求める意見にはあまり接することがなかった。私が身近に接したなかっただけなのかも知れないが、それでも、最近は極めて多い。大学にはたいがい「相談所」があって、相談事はそこにいって相談するという体制が整っていることが多いので、わざわざ教師に悩み事を相談するというのは、私にも特別なことのように思われていた。もちろん、将来の進路等については、相談するだろうが。これはどこの大学でも同じような現象があるのだろうか。
 大学の教師の授業のやり方が、あまりうまくないとか、あるいはどう教えるかについてあまり考えずに授業をしているというのは、前から指摘されていることだが、そうしたことへの不満がたくさんでるようになったというだけではなく、むしろ、教える内容よりは、教えかたの方が重要だというような考えかたをもっている学生が多くなっている気がした。これもまた、私の所属している大学故の現象であるかも知れないが。
 私の大学の学生はよく勉強をする。入学前は大学では遊べるという噂を聞いているが、実際に授業が始まってみると、とんでもないという事態に気づくことになるのだが、多くの学生はまじめに勉強するので、それが逆に、「内容」より「やり方」に注意が向くのかも知れない。

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