クライバー「カルメン」は何故生前市販されなかったか

 5月2日の朝日新聞に丸谷才一の「妄想ふたつ」という文章が載っている。最初から妄想だとされているので、まじめに受け取るのは愚かなのかも知れないが、丸谷は「自分の思いつきに未練がある」としているので、その思いつきは捨てるしかないと指摘したい。
 クライバーの名演「カルメン」を丸谷も楽しみつつ、何故生前市販されなかったのかと考えていたという。これはクライバーファンやカルメンファンなら多くの人が感じていたことだろう。私もずっと疑問に思っていたし、市販を待ち望んでいた一人だ。しかし、途中から、あのカルメンが市販されるのはクライバーの死後だろうと思っていたところ、死後半年で世に出てきたので、早速購入し楽しんでいる。
 丸谷の解釈はこうだ。クライバー一家はナチに批判的だったので、ユダヤ人ではないのに亡命し、終戦まで南米で活動した。そのために、カラヤンやフルトヴェングラー、リヒャルト・シュトラウスのような対ナチ協力の批判を受けることがなかった。「だから、運命が自分に贈ってくれたこの条件を恩寵としてとらえ、そこで、幸運にふさわしいだけの完璧さを自分の芸術に求めたのではないか。その結果、あの僅かなレパートリー、棒を振った交響曲やオペラの複製を検討し吟味する際の病的に厳しい態度が生じたのではないか」というのが、丸谷の解釈だ。
 はっきり言ってナンセンスだろう。こんな文章が朝日新聞に堂々と載ることが驚きだ。有名人なら何を書いてもいいのか。
 まず、クライバーが病的に録音の公表に厳しかったことは、多くの場合事実だが、それは最初からそうだったわけではないし、また、常にそうだったわけではない。実際に若い頃はスタジオ録音をしているし、また、病的に厳しいという割りには、欠点が明らかなものの市販もなされている。クライバーがチェルビダッケのような態度をとっていたのなら、まだ丸谷の意見もわかるが、クライバーはチェルビダッケには批判的であったし、カラヤンを尊敬していたのだから、録音・録画に絶対的に消極的だったわけではない。
 何故カルメン、あるいは他にもあるかも知れない未許可録音がだめで、市販されたものはよかったのか、その理由が丸谷の言い方ではまったく説明がつかない。例えば、人気の高い「こうもり」のライブ映像は、魅力的な演奏だが誰が聴いても明確な欠点がある。ヴェヒターのエイゼンシュタインは全く声が出ていないのだから、完璧主義じゃなくてもOKしたくないような代物だ。また、クライバーがアムステルダム・コンセルトヘボーを振ったベートーヴェンの4番と7番は、録音と録画が同時になされたが、録音は許可されず、録画のみが許可された。だから、CDは出ていないがDVDは出ている。また、バイエルンとの「田園」は、さすがのクライバーファンも相当批判的な人たちがいる演奏だが、あれはクライバーの方から出そうという提案があったそうだ。つまり、クライバーは単純な完璧主義者だったわけではないと思う。こういう具体的な差異について、丸谷の考えではまったく説明がつかない。
 では何故あのカルメンを市販許可しなかったのか。私もいろいろと昔いろいろと考えた。 まずはライブ特有の演奏上の傷があるということだ。特にオブラスツォワの音程はふらつき気味だ。直前に出演が決まり、また新人に近かったブキャナンのミカエラは、クライバーとの呼吸が合っていないと思われるところがある、等々。しかし、これらの傷は、「こうもり」に比べればなんということもない程度だ。
 あるいはバージョン問題があるのかも知れない。オペラにつきもののバージョン問題は、カルメンの場合、かつてのギロー版からアルコア版に移行しており、そんなに複雑ではないように思われる。しかし、このクライバー版は、基本的にはアルコア版に近いが、折衷的なところがあり、かつカットが多い。だからライブではいいが、市販は問題があると考えたのかも知れない。だが、この上演はもともとユーロビジョンで放映される予定だったのだから、バージョン問題が理由なら、上演そのものをクライバーは承知しなかったはずだ。
 第三に、テレビ放映されたビデオではいずれもテープ損傷による雑音があった。闘牛士の歌のところだ。しかし、DVDではそれがないので、結局、テレビ放映されたテープはオーストリア放送協会のもので、マスターにはなかったか、あるいは、修正可能なものだったのか。いずれにしてもこれは理由になりそうにない。
 というわけで、いずれもこれらの理由は成立しないように思われる。そこで、私はこう思っている。
 実は、当初からクライバーはこの映像を市販許可しないつもりだったのではないと思う。
 このブログを読んでいる人がどの程度記憶されているかわからないが、映像がディスクとして市販されたのは、最初はビクターがつくったVHDという方式であり、それにパイオニアのLDが続いた。VHDはすぐにLDとの闘いに破れて撤退してしまったのだが、先発であったために、当初はかなりソフトがあった。もちろん、カルメンもあった。そのカルメンを出すさいに、ビクターの内部でかなりの議論があったとされている。つまり、クライバーのものとカラヤンのものとどちらにするかという議論だ。現場に近い人たちではクライバー支持派が多く、ほぼそういう案になったところ、幹部の人たちの間で、まだ日本ではあまり知られていないクライバーより、絶大な人気と実力をほこるカラヤンが「安全」だということで、カラヤン盤に決まったという。もちろん、カラヤン盤も名盤だが、クライバー盤にははるかに及ばないと思う。しかし、当時の常識的な判断としては、カラヤンが安全だったのだろう。
 この決定にクライバーは非常に傷ついたのではないか、というのが、私の理解だ。チャイコフスキーと「白鳥の湖」の場合に似ていると思う。チャイコフスキーは失敗の原因は自分にあると考える傾向があったと言われているが、いろいろな人の証言を読むと、クライバーもその傾向が非常に強かったとされる。「白鳥の湖」の失敗の原因が自分にあると考えていたチャイコフスキーは、生前何度、そうではなく、立派な作品だから再上演しようという提案があっても、決して首を縦に振らなかった。
 クライバーはむしろカルメンの出来ばえには自信があったのではないか。だから当初は許可する気持ちだった。だからこそ、ビクターで選択の対象になったのだ。それをビクターに否定されたので、頑になってしまった、というのが私の理解だ。
 もちろん、真相はわからない。(ビクリー内部の議論というのも、雑誌で読んだだけで、直接関係者から聞いたわけではないので、事実かどうかはわからない。ただ、雑誌にそういう記事があったことは間違いない。)

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