野田市虐待死を考える2

 昨日、野田市の少女虐待死に関して、住民が惨状を知りながら、何故届けなかったのか、作為の責任という法的義務を考える時期ではないかと書いたら、本日のブログ記事で、実は住民が通報したのに、関係者が「連携した動き」を決めていたにもかかわらず、実際には連絡組織は機能しなかったという事例があったということを知った。(「なぜ課長はアンケート用紙を渡したのか 「役所の常識」は非常識」窪田順生 http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1902/05/news042.html))
 この記事によると、2001年に児童相談員、児童相談所、警察、弁護士などが虐待防止のための連絡を蜜にとるために、「児童虐待防止対策連絡協議会」を発足させたのだが、その4年後、野田市で、「顔が腫れている姉弟がいる」という通報があったのだが、協議会の出番は全くなかった。そして、通報の一カ月後に、裸足で逃げ出した女児が保護されて表沙汰になったというのだ。ところが、通報をうけた担当者は、1カ月の間に8回も家庭訪問をしていたのだそうだが、「子どもはいない」と門前払いを食っていたというわけである。つまり、連絡をうけた担当者は、それなりに努力していたのだが、一人相撲で効果がなく、連絡協議をするように働きかけをしなかったというのだ。それは、「連絡をすると、自分が責任を負う」ということを嫌うためで、窪田氏によれば、それが役所の文化なのだそうだ。
 この記事を読むと、もしかしたら、野田市の住民は、どうせ通報しても何もしやしない、と思って、「触らぬ神に祟り無し」を決め込んだのかも知れない。しかし、それでも、ある意味人間として、通報すべきものではないだろうか。
 ところで、前回は触れなかったが、こうしたいじめアンケートの情報共有は、極めて難しい。また、担当職種によっても関わりかたが普通ことなる。
 親の場合は、特殊例であるので、とりあえずクラス内でのいじめを想定して考えてみる。教師にとって、いじめは被害者をケアするだけではなく、いじめが起きないクラスづくりをしなければならない責任がある。加害者を変えるだけではなく、傍観者が勇気をもっていじめをとめるような姿勢をもつように指導する。こうした総合的な取り組みが、学校の担任には求められる。対策協議会で共有するといっても、基本的には担任が核となるものだろう。このためには、いじめの情報は、クラスの子どもたちが共有する必要がある。もちろん、いじめが酷い段階でそのようなことをすれば、被害を拡大することになるから、不用意に共有すべきでないことは当然だが、少なくとも、いじめのないクラスつくりをするためには、どこかで情報を共有し、被害者を説得し、加害者を励ますような取り組みを、子どもたちが行えるようにならなければならないのである。
 ところが、カウンセリングやアンケートでのいじめの訴えは、「秘密」が原則となっている。カウンセリングの場合は、それは自明のことだし、解決のために必要な情報共有は、あらかじめクライアントの了承をえる必要があるし、また、通常そのようにしているだろう。クライアントが「誰にもいわないでほしい」といえば、そうせざるをえないだろう。
 しかし、法によって実施されているアンケートは、どうなのだろう。そもそも集計主体が自治体によって異なるようだ。多くは担任が行うようだが、業者に依頼する場合もある。業者は、詳細な分析をするかも知れないが、担任が行う場合には、おそらく、いじめの訴えがあるかどうかをチェックするだけだろう。
 文部科学省は、訴えがあったときの対応を、前回紹介したように、学校全体で共有して取り組むというような指示をしているが、少なくともいじめで悲劇が起きた事例では、この連携が機能していたとはいえないようだ。また、そうしたとき、アンケートの開示などを求められると、「守秘義務」を理由に開示を拒むというのが、多くの事例である。
 やはり、「秘密を守る」ことと、「学校全体で共有して取り組む」というのは、非常に両立が困難なのである。では、どうしたらよいのか、という点については、また別の機会に書きたい。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック