いじめの深刻な事態への懲戒処分は、教師ではなく校長にすべき

 今日(2月27日)の毎日新聞に、「いじめ不適切対応で懲戒 条文明記に賛否」と題する記事が載っている。学校の不適切な対応のために、いじめが深刻な事態に発展するケースが少なくないという認識からだろう、「いじめ防止対策推進法」の改正の一環として、超党派の国会議員で検討が進められているという。案の骨子として、毎日新聞は以下の内容を示している。

・いじめ対策は児童等の教育を受ける権利の保障のために欠くことができない学校において最優先に対応すべき事務であり、適切に行われなければならない
・教職員はいじめの防止に関する法令、基本的な方針、通知等に精通し、正しい理解の下に職務を行わなければならない
・教職員はいじめを受けた児童等を徹底して守り通す責務を有し、いじめまたはいじめが疑われる事実を知りながら放置し、または助長してはならない
・地方公共団体は教職員がこの法律の規定に違反している場合(教職員がいじめに相当する行為を行っている場合を含む)、懲戒その他の措置の基準および手続きを定めるものとする

 記事には、実際に不適切な対応で重大事態に発展するケースもあるので賛成(尾木直樹法政大学特任教授)、教職員が努力しても気付かないこともあるという理由で反対(全国市町村教育委員会連合会新海今朝巳事務局長)、懲戒は校長にとする意見(NPO法人「ジェントルハートプロジェクト」小森美登里理事)等の意見が紹介され、また、議論に参加しているメンバーからの疑問もあるとされる。そして、最後に「同法施行後もいじめによる自殺者が後を絶たず、実効性を強めるべきだとの指摘がある。」との結びになっている。
 非常に重要な問題なので、私の見解を書いておきたい。

 結論から書けば、懲戒処分はあってしかるべきだが、対象は校長にすべきである。
 何故か、教育行政の歴史を見ればあきらかだが、校長の権限を強化するように、ずっと文部科学省は措置を行ってきた。その端的な事例が、従来の教頭に加えて(自治体によっては、置き換えている)副校長という地位を設定したが、やっていることはあまり変わりないが、副校長には、「校長の命を受け校務を司る」という規定がはいっている。公的な説明は、校長が一人でやるのが大変であるとか、不在のときに、副校長は、校務を司ることができるが、教頭は校務を「整理する」だけだ、校長の負担を軽くするのだということであるが、それだけではなく、「命を受け」というのが、権限関係を上下のものとして強化する結果をもたらしている。このように、校長の権限を強化しつつ、他方、校長の「責任」を問うことは、あまりしてこなかったのである。組織の中で、トップが権限をもっていれば、不祥事が起きたときに、トップの責任が問われるべきものである。日本社会全体が、トップの責任を回避するような組織が多いが、それが組織の腐敗や機能不全をもたらすことは、いうまでもないだろう。いじめによる深刻な事態でいえば、頻繁に起きる「隠蔽」がそれにあたる。そして、この「隠蔽」が起きやすいことこそが、日本における「いじめ問題」を深刻化させる要因のひとつなのである。
 どういうことか。
 いじめ防止対策推進法の改正作業をしている人たちが意識しているように、いじめの深刻な結果に対する懲戒処分の規定は存在しない。いじめで子どもが自殺しても、誰も懲戒処分を受けることはないのである。もちろん、「安全配慮義務」が学校にはあるから、重大な過失があれば、処分されることはあるし、また、いじめを助長するような行為があれば、その行為によって処分されたり、刑事罰を受けたりすることはある。しかし、もともといじめを防止したり、自殺を防ぐことは困難なことだから、そこまで重大な過失や作為が認定されることは、滅多にない。すると、いじめで自殺したと考えられる事態が起きたとき、想定される学校運営者たちの予想する「危惧」は、損害賠償訴訟である。その際、損害賠償を提起されるのは、学校設置者(公立学校なら設置自治体)と加害者の親である。校長、教職員、教育委員会職員は、誰も賠償責任を負わない。重大な過失があった場合には、賠償金を支払った自治体から求償権を行使されることがあると、法的規定には書かれているが、求償権が行使されることは、ほとんどないといってよい。
 損害賠償訴訟では、教員の扱いに「故意」または「過失」があるときにのみ、賠償責任が生じることになっている。故意過失がない場合には、賠償責任は認定されない。そこで、教育委員会や校長は、いじめそのものを隠蔽し、いじめはなかったのだから、自殺の原因はいじめではない、と主張することになる。教育委員会や学校(校長)がいじめを隠蔽するのは、こうした制度から生じている側面が強いと考えざるをえないのである。従って、このような制度の構造を変える必要があることになる。

 では何を変えるのか。
 国家賠償法は、被害者救済のために、損害賠償を確実にするような措置をとっているわけで、この仕組みを廃止することは、被害者救済のためにならない。故意または過失による権利侵害があったときに賠償責任が生じるというのは、基本原則だから、それも変更するべきではないだろう。
 従って、深刻な事態に対して、実際に関わっている人たちが責任を負わないシステムを変える必要があるわけである。不適切な行為をした場合の懲戒処分はあってしかるべきである。
 では、どのように処分がなされるべきなのか。
 いじめは、教師にわからないようにやるのが普通である。だから、教師がいじめ対策をしっかりやろうとしていたとしても、発見できなかったり、発見しても、加害者と被害者の関係に適切に対応できなくて、解決できないことは、いくらでもありうるし、教師が解決できなかったことを懲戒処分の対象にすることは、まちがいだろう。教師自身がいじめに加担したり、それに近い行為をした場合には、それはまったく別の問題として処理されるべきであるし、それは懲戒処分の対象にしなければならない。
 教師は、いじめをなくそうと努力しているわけであるから、いじめの結果が深刻な事態になったとしても、「処分」ではなく、力量不足があるとして、研修を受けさせる等の措置は考えられるべきである。
 学校全体の秩序を維持するのは、基本的に校長の責任なのであるから、やはり、校長が責任を負うべきであるが、しかし、深刻な事態を防ぐことが難しいことは、教師と同様であるし、更に、直接関わることが少ないだけ、より難しい面もある。(ただし、加害者を呼んで指導する点に関しては、担任の教師よりは、校長がやるほうが効果的であると、私は思う。従って、担任からの報告を受けているにもかかわらず、そうした指導をしなかった場合には、責任は重いといえる。)
 だから、深刻な事態になったことだけをもって、校長を懲戒するのも間違っている。次のような場合を考えてみよう。
ア 校長としてやるべきことをきちんとやっていたにもかかわらず、深刻な事態になった。
イ 報告をうけ、いじめが発生していることを知っているにもかかわらず、担任への応援とか、学校全体の取り組みとして、やるべきことをやっていなかった。
ウ 深刻な事態の発生後、それを教育委員会に速やかに報告した。
エ 報告せず、隠蔽しようとした。
 以上のような場合、アであれば、校長の責任を問うべきではない。また、ウの場合も、同様である。
 しかし、イの場合には、軽い処分、そして、エの場合に、重い処分にすべきである。
 整理すれば、校長として解決のための努力をしており、結果について正確に教育委員会に報告している場合には、いじめの結果のいかんを問わず、校長の懲戒処分を行う理由はない。しかし、努力を怠ったり、結果を報告せず、隠蔽しようとした場合には、厳しい懲戒処分を課す必要がある。
 理由は改めて書く必要もないだろう。
 このように仕組みを変えることで、校長は、いじめを解決することに、より真剣に取り組むようになる可能性が高まるし、また、深刻な事態が起こっても、隠蔽工作などをして、被害者家族を怒らせ、訴訟になるというような最悪の事態を防ぎやすくなるだろう。
 そして、大事なことは、こうした取り組みが行われていることを、子どもや家族が感じれば、教師への信頼感も高まり、子ども全体がいじめ解決に協力的になるのではなかろうか。
 次にいじめ防止対策推進法そのものの検討をする必要があるが、長くなったので、次回にする。

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