生徒の暴力で教師が市を提訴

 本日(3月1日)の毎日新聞他、各新聞が、生徒に暴行された教諭が学校側を提訴という記事が掲載されている。この提訴は、1週間ほど前から予告されており、原告が記者会見を開いて、提訴することを公にしていたのだろう。
 報道によると、中学の教師が、2013年に給食時間中、教室の扉を蹴った生徒に注意をしたところ、頭を殴られ、手首を強く締めつけられ、膝蹴りを受け、鼻を骨折した。学校側は、警察や消防に通報しないばかりか、公務災害の申請も拒否し、保険での治療を勧めたという。手術を何度も受け、公務災害は認められたものの、2015年まで休職せざるをえなかった。
 毎日新聞の質問に対して、教育委員会は、「教諭に不安を与えたかもしれないが、学校と市教委の対応は適切だった」と回答しているそうだ。
 文部科学省によると、生徒による対教師暴力は、年間8000から9000件あるそうだ。
 他の報道によると、学校は、生徒の暴力には、教師は体をはって防ぐべきだ、といったともされている。

 このような事態が生じると、教師に体罰が認められていないからだ、生徒が教師に暴力を振るうのに、対抗できないのはおかしい、という声がでそうであるが、もちろん、それは正しくない。教師の指導に不十分な点や生徒にとって不満なものがあるとしても、もちろん、教師に対する暴力が容認されるわけではないし、また、それに対抗して、教師が体罰をしてよいということにはならない。
 原則は、教師に暴力をふるう生徒がいたら、校長がその対応を引き受けるべきである。もちろん、校長は、実質的な懲戒権をもっているのだから、懲戒を行使してもよいし、それを前提として、生徒の指導を強力に行う権限を、一般教諭よりももっている。更に、生徒が教育を妨げているときに、生徒の出席停止を教育委員会に申請することもできる。このような権限をもっている校長が、学校運営の責任者として行動すべきである。そして、そのようなこととは別に、暴力が教師やその他の生徒に危険な状態になっているときには、警察の助力をえる必要があるし、怪我をしていれば、救急車を呼ぶ必要がある。
 少なくとも報道で知る限りでは、それらの措置をほとんど盗っていないようである。従って、教育委員会の「適切に対応した」というのは、全く理解に苦しむ。公務災害への申請を抑制するように、教育委員会が校長に指導していたのではないかと疑いたくなる。特に中学生は14歳以上であれば、刑事責任を負う年齢なのである。そういう自覚をもたせることも教育のひとつである。

 この提訴で疑問なのは、何故生徒側を対象としていないのかという点である。近年のいじめ訴訟では、学校設置者だけではなく、加害者の親も提訴の相手とすることが普通になっているが、対教師暴力も同様ではないだろうか。学校側の対応が悪いといっても、それは事後処理としてやるべきことをやっていないことであって、直接暴力を奮って怪我をさせ、勤務ができないようにしたのは、生徒である。

 私は何度か、アメリカの少年法廷の研究をして、論文を書いたが、少年法廷とは、文字通り少年たちが、少年たちを裁くもので、正式な裁判の代替として認められている。広範囲に行われているわけではないが、実施されているところでは、ほとんど効用を認められている。つまり、犯罪をした少年たちが、再犯しないような効果がある。しかし、日本の家庭裁判所にあたる、青少年裁判所の判決よりも、重いのが普通であるし、また、公開裁判になるので、被告人の少年たちへの負担も非常に大きい。なぜ、そのような仕組みが作られたかといれば、初犯のときに、しっかりと責任を果たさせることが、重大犯罪をするような大人にさせないために必要なのだという認識があるからだ。アメリカは、レーガン政権あたりから、少年犯罪に対して、厳罰化が進んだのだが、それによって少年犯罪は少しも減らなかったといわれている。つまり、厳罰化のために、大人と同じ裁判を受けさせる必要から、軽犯罪に対する警察の活動が手薄になり、小さな犯罪者が野放しになって、彼らが責任をとらされることなく、犯罪者として成長してしまうからである。そこで、初犯からしっかりと責任をとらせ、しかし、正規の司法システムは充分に扱えないとすれば、同年代の少年が裁けば、より「忠告」を聞く効果があるのではないかという理由で、始められたのである。念のために確認しておくが、少年法廷は、「厳罰化」の一環なのではない。逆に修復的司法の一環である。

 このように考えれば、教師に対する暴力という、一般社会で行われれば、犯罪そのものである行為を、学校内で起きた場合には、教師は我慢せよというのではなく、犯罪行為をすれば、どこででも責任をとる必要があるということを教えることで、軽い犯罪の段階で、しっかりと教えることが必要なのである。もちろん、ただ罰すればよいのではなく、当然そのプロセスに、本人が自覚するという要素をいれる必要があるし、反省するような仕組みを導入する必要がある。それをするのが、学校だろう。
 この事件の場合、懲戒とか、あるいは司法上のことは行われているとしても、損害賠償に関しても、学校や市と同じように、加害者も対象とするのが当然だろう。
 労働時間もそうだが、あまりに日本の学校の教師は、保護されるべき点での保護が薄すぎる。

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