透析中止--生涯を決定する権利はあるのか

 3月7日の毎日新聞には、人工透析中止の選択肢を提示され、意思確認書を書いた女性が死亡した事例で、当該病院に立入検査が入ったことが報道され、この問題に多角的な分析が加えられている。私は、オランダを研究しているが、世界で始めて安楽死を国家として合法化した経緯やあり方について調べたこともあり、この問題について考えざるをえなかった。多数の記事が掲載されているので、いちいち示さないが、すべて資料とするのは、毎日新聞の3月7日の報道である。
 この病院では、本人の意思確認によって人工透析を中止した患者が3人おり、そのうち2人が中止後短期間に死亡している。ここで、問題になっているのは、そのうちのひとりである44歳の女性である。何が起きたのかを、時系列で追ってみよう。

2018年8月9日 診療所で、透析治療を受けていた女性が、血管のシャントが潰れたため、病院を訪れた。
 病院は、(1)首周辺での透析治療を続ける(2)透析治療を中止する。という選択肢を示した。
 女性は、「シャントが使えなくなったらやめようと思っていた」と透析中止を決めて意思確認書に署名した。
 外科医は、看護師と夫を呼んで、女性の意思確認をした。夫は迷いながら承諾。
 女性は診療所にもどった。病院から診療所に電話があり、「在宅でおみとりです」というので、診療所は、驚き、カテーテルでの透析治療を勧めた。女性は「病院と相談する」といって帰宅した。
8月10日 内科医によると、女性と面会して、女性は透析しない意思は固いと判断した。
8月14日 「息が苦しくて不安だ」とパニックになり、入院した。
8月15日 女性は透析中止の撤回が可能なら撤回したいと夫に明かしたので、夫は外科医に透析を頼んだ。外科医は、「するなら『したい』と言ってください。逆に、苦しいのがとれればいいの?」と聞き返して、「女性が苦しいのがとれればいい」というので、鎮痛剤を与えた。
8月16日 女性が死亡。

 毎日新聞では当該医師のインタビューも含めて、多数のコメントが紹介されているが、問題ごとに整理しつつ紹介していこう。

(1)「死ぬ権利」はあるのか。
 インタビューで、このプロセスで主要に応じた医師は、「患者は自分の生涯を決定する権利をもっているのに、透析導入について同意をとらずに、透析に進むべきというのが、医療界の動きで、透析をやらない権利を患者に認めるべきだ。重要なのはインフォームド・コンセントだ。」と述べている。まず前段の「生涯を決定する権利」つまり、「死ぬ権利」があるという主張は正しいのだろうか。
 私は、原則的に安楽死を容認するので、安楽死を可能とする制度をつくることに賛成である。(ただし、いまの日本の医療制度のままで認めることはできない。いくつかの重要な変更点があると思っているが、それはここでは省略する。)しかし、安楽死の容認=生涯を決定する権利(=死ぬ権利)ではない。ここは厳密に区別するべきであると思う。
 安楽死を容認する制度というのは、厳格な条件の下に、患者の正確な意思によって、医師が安楽死を実行したときに、その医師が罰せられないという意味なのである。それ以上の意味をもたせるべきではない。
 権利というのは、厳密にいえば、それを実現させる義務を負う主体を前提にした概念である。国家が国民に対して、教育を受ける権利を認めることは、その権利を保障する義務を国家が負うことを意味するのである。同じように、「生涯を決定する権利」は、常識的にいえば、「死ぬ権利」であるから、「死ぬ権利」を主張して、その実行を誰か(通常医師)に要請した場合、原則的に依頼された医師は、それに応える責任があることになる。そうしなければ、「生涯を決定する権利」など、空文句になってしまう。しかし、医師は応える義務はないとすべきである。実際に、オランダでも、安楽死を依頼された医師が、それに応える義務はないのである。

(2)インフォームド・コンセントに該当したか
 女性患者が、診療所から紹介されて来診したときに、医師は、透析治療を続けるか、中止するかの選択を示したという。そして、これがインフォームド・コンセントだという意識であるように、少なくとも報道からは読める。しかし、私の考えでは、これはインフォード・コンセントではない。私はその方面の専門家ではないので、間違っているかもしれないが、私の理解では、インフォームド・コンセントとは
・病気がどのようなもので、どのような治療法があるかを説明する
・それぞれの治療法の長短を説明する。治癒可能性、治療行為の苦しさ等々を、治療法ごとに説明する
・そのなかで、どの治療がよいか、医師として勧めることも当然だが、最終的には患者にまかせる
というようなことを含むものだろう。
 では病院で外科医が示した選択は、これに合致するだろうか。もちろん、報道では詳しい経過はわからないが、治療をするか、中止するかの選択を迫っているだけで、シャントが潰れた段階で、他のどのような治療法があるのかを充分には、示していないように思われる。「首周辺に管を挿入する治療法」があることを提示したとされるが、その他にないのか、私には疑問である。

(3)死に直結する選択肢を、医師は示してもよいか
 私は安楽死原則容認派なので、死に直結する選択肢を示すことはあってはならないとは思わないが、この事例は、容認できないいくつかの点がある。
・死に至る措置を、医師がとるのは、患者の病気が、死期が迫っていて、治療方法がない場合に限られる。
 では、この事例はどうか。
 外科医自身が、人工透析を続ければ、4年間は生きられるとしていたそうだ。つまり、死はまったく切迫していなかったわけである。オランダでは、安楽死の対象にならない病状であることになる。
・オランダでは、安楽死の依頼を医師がうけても、かなり長い期間をかけて、本当に望んでいるのか、苦しいから一時の気持ちで言っているのか、確認していく。そして、別の医師に確認してもらう。そうして、文書で安楽死を希望することを自分で書いたとしても、それを実行するまでには、また相当な時間をかける。こういう手続きを踏まなければ、適切な措置とは考えられず、医師は起訴される可能性があるのである。この場合、来院してすぐに意志確認をして、死に直結する選択を直ちにとっている。
 ひどい苦しみに耐えかねて、死にたい、安楽死させてくれ、と意思表示をしても、それは、時間が経過すれば、気持ちが変わることが、いくらでもあるだろうし、また、変わる可能性があるという前提で、医師は対応しなければならないはずである。女性患者は、透析を中止して、苦しみだし、やはり受けたいという意思を伝えたところ、「するなら『したい』といってください」と応じたという。そして、「苦しみがとれればいいのか」とも聞いたというが、これでは、冷静な気持ちではない患者にとって、いまさらそんなことをいうのか、という恫喝と受け取られる可能性が高いだろう。

 この一連の事態は、患者の意思確認もせずに、透析をやるのはおかしい、透析を拒否する権利も認めるべきだ、また、透析が必要だという患者は末期なのだから、治療の中止も医師にとっての選択肢として認められるべきである、という信念によって行動したのだろう。だから、この医師は、信念を社会に認めさせるために、これから自らの正当性を主張していくのかもしれない。
 しかし、常識的に考えて、腎不全になって、人工透析をするか、しないで短期で命を終えるか、と示されて、透析をしない選択をする患者がいるとは思えない。実際に透析をして、いろいろな苦しみや不都合を感じてやめたいと思う患者がいるだろうし、この女性患者も、気持ちが不安定になり、自殺未遂を何度か起こしたという。しかし、それはその精神的な問題への対応が必要なのであって、透析治療の中止が選択肢として示される事態とは思えない。

 安楽死事件などもそうだが、私は日本の大学の医師養成教育のなかで、法律学の教育があまりに欠けているのではないかと思う。これまで文書による本人の意志確認がなかったことが、医師を不利にした事例が多いからだろうか、この外科医は意思確認書をとっているが、本人の意志確認をとるということが、本当のところ何を意味するのか、法の基本にたって考えているようには思えない。

 以上、やはり、この事件は、外科医の措置を妥当とすることはできないだろう。
 

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