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zoom RSS 大教室での私語

<<   作成日時 : 2005/07/21 15:30   >>

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 私の大学はこじんまりした大学なので、以前はあまり大きな教室がなかった。しかし、2年前に400人定員の教室ができて、かなり大きな人数を対象に授業をするようになった。それまでは250人程度の広さだったので、大分違う感じがする。教室が大きくなればなるほど、もちろん授業中の私語なども増える。私語に対する学生の不満などもそれにつれて増加してきたように感じる。もっとも、私語するのは学生なのだから、学生が不満を言うというのも変な話なのだが、まあ、私語する学生と不満を言う学生は違うのだから、それは仕方ない。
 私の場合、できるだけ気をつかっているから、多分他の授業よりは少ないと思うが、それでも私語はあると感じる。感じるというのも変だが、大きな教室で後ろの席で私語していても、教壇からはほとんどわからない。マイクで授業をしているから聞こえないわけだ。よほどしつこく話しているときには、動作が話しているような感じになるから、それで察する程度だ。
 私語ができるだけないように、いくつかの対策はたてている。
 まず、このような授業は必ず1限目に設定して、出欠を取らない。そして、最初の授業に、出欠はとらないので、この授業を積極的に聴きたい人だけが出てきてほしいと説明する。毎回授業の課題がでるが、私自身が書いたテキストがあるので、それを読めばだいたいわかるから、それで書けばよい。しっかりテキストを読んで、しっかり書けば、それはそれとして勉強したと思うから、それでよいと思っている。もちろん、課題の採点は甘くしない。これはある意味では消極的な手法だが、400人も登録すれば、誰もが興味をもって勉強するわけでもなく、時間割の組み合わせ上取っただけの学生も多数いるから、必要悪と考えている。出欠をとらなければ、当然だんだん出席者が減ってくる。それを減らないように努力するのが、まあ、教師の役割だろうと考えている。しかし、出欠をとらないと学生に公言するのは、大学のルールに反するから問題だという意見があって、驚いた。確かに、単位認定のためには、3分の2の出席が必要という学則がある。しかし、あれは学生が単位をとるために求められる条件であって、教員が単位を出す条件であるかは、教員が決めることであろう。大学では「教授の自由」が認められているから、当然出欠をとるかどうかなどということは、教員の裁量権に属する。必要なことは、「評価の基準の明確化」であろう。
 第二に、やはり、授業中は学生の反応を見ながら、考えさせたり、発言させたりしながら、めりはりの効いた授業をするように努力することであろう。どこまでできているかは保障の限りではないが、こういうやり方をしていると、話していると思われる学生を急に指名しても不自然ではなく、それでなんとなく察するように仕向ける。
 第三にやはり時々、私語がいけないことを確認することである。学生には休む権利はあるが、他人の学習を邪魔する権利はない、と。そして、私語する人がいたら、学生同士注意してほしいと要請する。しかし、これについては、今年度初めてだが、そんなの無理だという意見が出てきて驚いた。私は20年大学で講義をしているが、私語している学生を、学生が注意したという経験がない。ヨーロッパに留学していたときに、留学先の大学でもちろん授業に出たが、私語に対しては学生が注意していた。ずいぶん違うなあ、と思ったものだ。私語は邪魔だという不満は、学生からたくさん寄せられるのに、何故学生は注意しないのだろうか。
 たぶん、いじめをとめない世代の特質なのではないかと思っている。いじめをとめないことについては、ほとんど当たり前のこととして、今の学生世代は受け取っているようだ。いじめをとめたら自分がターゲットになるのだから、とめないのは当然という感じだ。
 大学に限らないと思うが、他の授業の様子というのは、なかなかわからない。300人以上くらいの授業の私語は、だいたいどんなものなのだろう。

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