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zoom RSS 教師の給与は「固定」すべきものだ

<<   作成日時 : 2005/11/03 19:51   >>

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 11月3日の朝日新聞によると、文部科学省の副大臣になった馳氏は、義務教育費国庫負担法の廃止に賛成する立場であり、その意見は、「使い道を給与に限定する現在の負担制度は廃止し、教育分野であれば地方の自由裁量に任せる一般財源化が良いという考え」の持ち主であり、中学だけではなく小学校も今回やるべきであったというように衆議院の文科委員会で発言していたのだそうだ。
 これによって、一般財源化の主張が、教師の給与システムを変えることに意図があることがはっきりと分かる。そして、変えるというのは、教師の待遇をよくするのではなく、低下させるか、差別化をもっと導入するかのいずれかでしかない。もっとよくするのであれば、現行法の方がずっと好ましい環境である。つまり、教師の給与を他にまわそうということか、あるいは、「よい、頑張っている」教師には高くし、そうでない教師は下げるというような差別的給与にするかであろう。
 しかし、そのことは、教育の現場を悪化させる以外の結果を期待するのは難しい。
 教師の給与をさげれば、人材が集まりにくくなることは当然のことだろう。日本は教師の条件が恵まれているからこれまで人材を集めてきた。日本の教師はレベルが低いと思っている人がいるかも知れないが、外国と比較して、日本の教師のレベルは極めて高いのである。不祥事とか、不適格教員というような現象をみて、レベルを問題視することは一面的である。
 教師のレベルが下がれば、今問題になっている学力低下現象にますます拍車がかかる。教師のレベルをさげて、教育改革ができるはずがない。
 では、差別化するのがいいのか。こうした感覚は、かなり多くの人が共有している。頑張っている先生とそうでない先生の待遇が同じなのはおかしい、という意見は、私が相手にしている学生などでも、多数派である。
 しかし、じっくり議論していくと、その意見のおかしさに気づく者も多い。つまり、情熱をもって実践に取り組んでいる教師は、決して「お金」を対価として求めているわけではないのである。もし、そういう教師がいたとしたら、そういう教師を選んだ行政当局の問題であろう。
 教師であれば誰だって、自分の実践がうまくいき、子どもたちの力が伸び、子どもたちが生き生きとしてくることを望んでいるはずである。そうして、それが実現していたら、そのこと事態が何にも変えがたい報酬である。また、うまくいっていない教師は、そのことがわかっているし、なんとかしたいと思っているものだ。それを給与をさげて笞をいれれば、改善されると思っているとしたら、あまりに人間への理解が低すぎる。
 多くの親は、決して、「お金のために頑張る」教師に自分の子どもを習わせたいとは思わないだろう。
 指導力不足教員とか、不適格教員とされる人たちは、多くが、現場でうまく育っていない人たちである。もちろん、本当に適性のない人もいるかも知れない。しかし、みんな、難しい教員採用試験に合格した人たちだ。現場での、とくに管理職たちが、きちんと支えていけば、通常はりっぱな教師になっていけるの人が大半だろう。それを給与差別を導入して、笞をいれるようなやり方をとったら、教師たちは、ますます利己的になったり、萎縮してしまうにちがいない。
 やはり、「人件費」はきちんと「固定」しておくことが必要なのだ。

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「教師の給与は「固定」すべきものだ」について
「教師の給与は「固定」すべきものだ」について 背景には日教組対策も考慮してのうえであろう。党利党略の政治的駆け引きの匂いがします。およそ教育そのものを政治の道具に使う遣り方は間違っていると思います。叉日教組の存在も教育の現場に必要なのかと疑問を感じます。叉一方馳氏の考え方も一理あるような気もします。行政機関に限定せず幅広く有識者の意見も聞いてはどうでしょうか、 ...続きを見る
翔龍
2005/11/04 01:27

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