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zoom RSS オランダの社会と文化 日本と比較しながら(3)

<<   作成日時 : 2006/05/30 22:41   >>

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 どのようにしてオランダで安楽死が合法化されるようになったのか、その歩みを簡単に見ておこう。ただ、おそらくほとんどの地域で安楽死は実行されており、表に現れないだけであることを確認しておく必要がある。それはオランダでも例外では決してない。オランダで実質的に合法化された段階でも、密かに行われる安楽死、犯罪的な行為があることは否定できないし、また、責任を問わない調査で明るみに出たこともある。ただ、オランダが他の国と異なるのは、そうした闇で行われている安楽死をできるだけ表面で把握し、条件を課すことによって、合法的な行為と違法な殺人を区別してきたことである。その中でオランダ人は8割以上が制度としての安楽死を容認し、安楽死が「死」ではなくむしろ「生きる」ために大きな効果を発揮していることを実感してきた。
 オランダで最初に公的に安楽死が問題となったのは、1971年に起きた「ポストマ事件」で、様々な本に紹介されている。(例えば三井美奈『安楽死のできる国』新潮新書2003)オランダのサイトでも多数の解説があるが、アメリカ人が合法化される直前に執筆した著書によって整理しておこう。(Carlos F. Gomez "Regulating Death -- Euthanasia and the Case of the Netherlands" 1991 New York)

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 事件の概要は次のようなものであった。
1 78歳の母親は1971年の9月からナーシングホームに入居しており、10月に安楽死した。
2 母親の病気は特別なものではなかったが、裁判記録からは、車椅子を使用しており、失禁症、部分的に聴覚障害があったことがわかる。また、鬱であり、脳溢血の後は苦痛に襲われていた。
3 肺炎はよくなっていたが、肺炎がよくないときには、ベッドからしばしば落ちていた。4 ナーシングホームの主任看護士が、「病気の間、母親は彼に何度か、死ぬ方法はないの?、私は死にたい、すぐ死にたい」と語っていたことを証言している。
5 更に主任看護士はまた、母親を「協調的ではなく、生きる意思がないので、リハビリや活動をするのが困難な患者だ」と語っている。
6 結局、10月19日、被告である娘の医師 ポストマ・ファン・ボーデン(45歳)が200ミリのモルヒネを、母親の生命を終わらせる意思で、注射した。実際、母親はモルヒネ投与の数分後になくなった。(p29)

 これに対して判決はおおよそ次のようなものであった。

 専門家の証言によると、医者や国民健康局の医学視察官によれば、オランダの平均的な医師達は、以下のような条件下にあるときには、もはや患者の生命は厳しい終焉まで引き延ばされることが正しいと考えていない。
a 患者が−改善や悪化が長期的であるか短期的であるかに関わりなく−病気や事故が原因で回復不可能である、あるいは、医学的な基準から回復できない病気と見なされなければならない場合
b 肉体的・精神的な苦痛が患者にとって耐えがたく深刻である場合
c 患者が事前に、文書で、生命を終焉させることを望むこと、そして、いかなる場合においても苦痛から解放されることを望むことを示している場合
d 医学的な意見により、臨死段階が始まっており、その兆候がある場合
e 行為が医者によって行われること。つまり、主治医、あるいは医療専門家、あるいは主治医や専門家と相談しながら医者が行うこと。

 以上のすべての条件が存在している場合には、わが国の医療現場においては専門家の証言によって、以下のことが受けいれられている。つまり、患者の苦痛を完全に、あるいは可能な限り、除くために、適量以上の薬が投与されること、そして、医者は十分に自覚しており、良い意図、つまり苦痛の除去が生命を短縮させることを受けいれている。(30)
 ただし、d項目だけは受けいれなかった。つまり、臨終に近い場合に安楽死を限定する必要がないとしたわけである。つまり多くの書物で紹介されており、また現在でも基本的な事項とされる安楽死容認の骨格がここで定式化されたのである。
Regulating Death の著者であるゴメスは、アメリカで議論になっている安楽死に批判的な見解をもっており、実際に多数行われているオランダでも、実は問題があるのだという意識で研究をしている。そして、オランダでは安楽死の容認に大きな一歩を築いたと評価されているポストマ事件についても、大きな疑問を寄せている。母親は肺炎から快方に向かっていたのであって、決して治療不可能な難病であったわけではない。また、何度も安楽死を求めたといっても、体の自由が効かなくなった精神的なあせりのなかで漏らした言葉であって、冷静なものだったとは受け取れない。ナーシングホームに入居してからわずか2カ月後のことであり、十分な合意の期間があったとは思えない、等々。
つまり、命の終焉という時期ではなかったし、また、大きな苦痛に直面していたわけではないという。
しかし、おそらくオランダの医師や人々、そして法曹界で考えたことは、そうしたこととは異なるレベルのことだったのではないかと思われるのだ。
自由が効かない体になって、おそらくこのまま回復しないままに死に至る状況に置かれて、それでも尚生きるのか、あるいは生命を終焉させるのか、それを決める権利があるのは誰なのか、そのことのコロラリーとして、生命を終焉させたいと患者が強く願ったときに、その願いを実現させた医者が責任を問われなければならないのか、という問題だったろう。
ポストマ裁判は国民の大きな関心を呼び、更に刑の軽減のための社会運動が起こった。そして、安楽死に向けた組織が結成されるきっかけにもなったのである。




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匿名
2013/07/19 01:58

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