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zoom RSS オランダの社会と文化 日本と比較しながら(番外編)

<<   作成日時 : 2006/08/21 21:23   >>

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日本の皇太子一家がオランダに静養に出かけたことがきっかけとなって、たぶん通常よりはオランダへの関心が高まっているのではないかと思われる。そして、オランダ王室についても。今回補充として、オランダ王室について少し紹介しよう。
日本の皇室とオランダの王室はかなり違うという印象がある。日本の皇室は、なんといっても世界最古の王朝であって、日本の最初の歴史書は皇室の正統性を示すためのものだったのだから、日本で書かれた歴史書の最初から存在し、今まで連綿と続いてきた。しかし、オランダの王室は19世紀の初頭からの歴史に過ぎない。オランダの歴史を紹介したところでオラニエ家のウィレム1世が独立戦争の偉大な指導者であったことを紹介したが、その後イギリス王となってイギリスの名誉革命の当事者となる3世まで、オランダの王だったわけではない。あくまでも議会が求めた総督であって、軍事指導者であった。当時の軍隊が傭兵であったように、いわば契約将軍のような位置にあって、しかも総督にならない時期もあった。ナポレオンによってオランダが事実上滅ぼされ、ウィーン体制の下で王政として再出発したときに、オラニエ家のウィレムが王となったわけである。ベルギーなどへの対応などあまり賢明なやり方をとっていなかったが、1848年の革命で自由主義的な王となって、それ以後立憲君主制の君主として現在に至っている。しかし、国民の中には、今でも総督として依頼したような感覚で君主制を見ている人もたくさんおり、オランダ人が私に解説してくれたところによれば、王室への賛成反対は半々程度だとか。だから、王が失政をすれば、大きな批判が起きることになる。実際のところ、1848年以後、オランダは少なくともヨーロッパでは、平和政策、中立政策をとっており、ナチスによって占領された時期以外戦争状態に入ったことがない。ヒトラーに占領されたときに、王室は内閣と共にロンドンに亡命し、亡命政府としてナチに対抗した。
いくつかの違いをあげてみよう。
まず、日本で女性天皇のことが問題となっているが、オランダでは既に100年以上女王である。1890年以後ウィルヘルミナ、ユリアナ、べアトリクスと3代女王が続いており、今もベアトリクスである。当初オラニエ家は軍事指導者だったから、女性ということは考えられなかったが、平和国家となったオランダとしては何の問題もないわけだ。ただ、今の皇太子は男性だし、3人の子どもが全て男なので、次は男性の王となるはずである。因みにヨーロッパには女王は少なくない。イギリスのエリザベスもそうだし、デンマークも女王のはずだ。オランダの王室をみていると、女性天皇が問題となること自体が違和感を感じる。
議員内閣制だから、王が政治的実権をもっているわけではないが、日本の皇室よりはもっと政治的な発言をするし、また実際的な活動をしている。もちろん、内閣と緊密な連絡をとっているだろうが、日本の皇室の「国事行為」というレベルとはかなり違う感じがする。つまり、もっと自分を押し出している。
私が2002年にオランダにいたとき、2001年の911テロ以後の若干すさんだイスラム−キリスト教関係の象徴的事件として、スーパーマーケットの駐車場で、オランダ人の青年がオランダ人青年とイスラム移民の子の二人組に暴力を振るわれ、結局病院に運ばれたが死んでしまったという事件があった。主犯格が移民の子だったため、移民問題としてもかなり騒がれたのであるが、このとき、多くの人が見ている中で暴力を長時間振るわれたことが、オランダ社会で大きな問題となり、ベアトリクス女王が声明を出したのである。オランダでは寛容の精神が重視されているのだが、他人が悪いことをしているのをだまって見ているのが寛容というわけではなく、そういう悪い寛容は恥ずかしいことだ、とオランダ人に訴えたのだ。このような事件に関して天皇が意見を述べるなどということは考えられないし、また、それが適切な意見であったとしても、天皇が意見を述べること自体も憲法的に微妙だろう。
また2003年2月は1953年2月のゼーランドの大洪水から50年にあたるので、国家をあげての記念行事がかなり行われた。テレビでも毎日のように、53年当時のフィルムが放映された。この日を記念して、現地で博物館が完成し、女王が訪問するのをテレビ放映していた。ちなみに、ゼーランドで行った対策は、非常に大規模な工事で、一見に値すると思う。
さて、そうしたテレビ番組の中で、まずヘリコプターから現在のゼーランドを写し、当時のフィルムと対応させながら解説していく番組があった。レポーターはヘリコプターに乗っていて、そこから下を見ながら解説をしている。そして、降りて当時の状況を詳しく説明している若い男性レポーター。一時間程度の番組だったが、ほぼ一人でその解説を行いきったその人が、なんと皇太子だったのだ。これにはとても驚いた。最初数ある似たような番組だったし、レポーターの声は聞こえているが、姿が出てきたのはけっこうあとだったので、録画をしなかったのが残念だ。プロのレポーターと比較してもなんの遜色もない語りぶりだった。
皇室の結婚がなかなか困難であることは似たような状況だが、対応はずいぶんと違った。 オランダの王室の結婚は議会の承認がいるようで、国民が納得しない結婚は難しいわけだ。ベアトリクス女王の夫はクラウスというドイツ人で、1965年に結婚したが、国民はかなり反対の機運が強かったという。当時まだ女王ではなかったベアトリクスがかなり強い意向を示し認めさせたという。
2002年に皇太子の結婚があったが、これも大きな国民的な問題となった。当初かなり強い反対があったからだ。マクシマはアルゼンチンの女性で、軍事独裁政権時代の大臣の娘だった。それで人権国家オランダとしては認めがたいというわけだ。そこでマクシマはかなりオランダ語を勉強したのだろう、テレビ放映される記者会見でオランダ国民に直接語りかけたのだそうだ。自分の父親は確かに軍事政権の大臣ではあったが、国民を抑圧するようなことはしていない、と。
この会見が非常に好感をもって迎えられ、議会の承認も得られて無事結婚に至った。オランダ人の話では、もし王室が秘密裏に彼女との結婚を進めたなら国民は反対したろうが、テレビで直接、隠すことなく語ったために国民は認めたのだそうだ。マクシマは今では国民の間に非常に人気があるそうだ。
全般的にメディアに出てくる度合いは、オランダの方が高いような気がする。日本の場合、行事的な場面をフォーマルに撮った映像がテレビに出てくるが、オランダの王室の場合には、もっとくだけた感じといったらよいだろうか、もっと普通の姿としてでてくる。実際に電車に乗ったり、デパートで買い物をするという。SPはごく少ない。そういうことを日本で皇室が行ったら、たぶん人々はどういう対応をとるのだろうか。

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