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zoom RSS 通知表のやり直し?

<<   作成日時 : 2006/08/09 17:56   >>

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 8月9日の毎日新聞インターネット版に、保護者の抗議で通知表書き直しという記事が出ている。詳細はわからないが、記事によると、2年で2クラス、6教科30項目を絶対評価3段階でつけるようだが、ひとつのクラスは「よくできた」が一人平均3.6個、他のクラスで、8.1個だった。そこでクレームがついたようだが、やり直したところ、「同7.9個」となったというのだ。この「同」というのが、正確にはわからないが、たぶん、ふたつのクラスをともにやり直したところ、両方のクラスが同じになったというのだろう。つまり、3.6個だったクラスは成績がよくなり、8.1個だったクラスでは厳しくなったということと考えられる。校長の説明が簡単にでているが、それによると、「児童の意欲を伸ばすため、できた部分を最大限評価するという評価基準を(担任教諭に)徹底せず、確認もしなかった」ということらしい。こうした結果一部の保護者は、「子どもが不信感をいだく」という理由で受け取りを拒否しているとか。県教委の談話は「通知表の趣旨をふまえ、保護者と学校間の信頼関係が損なわれないように指導する」ということらしい。
 記事の内容はこんなところだが、いろいろな感想や評価があるだろうが、「おそまつ」という点では誰もが感じるだろう。ただし、何がお粗末だったのかは、人によって違うだろうし、また、妙なところで「指導」されてもこまるわけだ。

 日本では通知表にあまりに過大な意識が集中するという現象がある。デンマークなどは9年間の義務教育の中で、7年間は通知表が存在しないので、成績などに対する意識が日本人とは大分違うだろうと思う。また、世界の私立学校の中には「点数化された通知表」をださない教育をしているところも少なくない。もちろん、「よくできました、できました、がんばろう」というのも、点数化の一種としてである。
 県教委は「通知表の趣旨」と述べたそうだが、どんな趣旨なのか。もともと、通知表などは学校の自治の範囲のことなのだから、県教委が「趣旨」などと言えるものなのか。

 確かに、同じ学校の同じ学年の2クラスで、「よくできました」の個数平均が3.6と8.1だったら、それを知った保護者は、???と思うだろう。???の内容はまたいろいろあるだろうけど。
 学力の正確な反映だったら、そういうクラス編成は妥当なのか、とか。クラス編成で平均的になるようにしていたのだったとしたら、そんな短期間に実力差が開いてしまったのは何故か、とか。あるいは、そもそもふたりの教師の評価基準にずいぶん差があるのではないか、そういうことは同じ学年なのだから調整しておいてほしい、とか。
 どこの学校でも同じかどうかはわからないが、私の知る限りでは、通知表の評価は担任がつけた後、管理職がチェックをしていることが多い。それはそれとして、私は妙だと思うが、もし、管理職がチェックをしていて、気づいていたのか、気づいていなかったのか。 もし、気づいていたとしたら、それで納得したのだろうから、保護者からのクレームがあったときに、校長が堂々と説明をすればいいことであって、評価をやり直すなどという姑息な対応をする必要はない。もし、気づかなかったのだとしたら、おそまつの一言だろう。不要なチェックなどしないことだ、どうせわからないのだから。そして、結果はつけた担任に説明させればよい。つけた本人が説明するのが一番だ。

 さて、チェックしてなかったのだとしたら、担任を信頼して任されていたのだから、それはそれでよいと思うが、その場合には当然、同じ学年の担任二人がどのような協力態勢をとっていたかが問われるだろう。

 そして、本当の問題はもっと深いところにあるように思われる。
 現在の1教科にたくさんの評価項目があって、それを絶対評価で評価するというのは、民間教育研究運動の中で生まれた「到達度評価」というやり方を「まねた」という一面がある。しかし、形式は同じようなものでも、まったく基本的な考え方が違う。もし、この学校が到達度評価を実践していたのだとしたら、保護者のクレームに対してこのような醜態をさらすことはなかったのではないかと想像する。
 何が違うのか。
 到達度評価とは、まず学年の到達目標、そして、学期、単元ごとの到達目標を具体的に設定し、そのための内容・実践を吟味検討し、そして、評価の基準を定める。これを学年の教師の間で十分に話し合いながら確認していく。そして、その到達目標が、通知表の細かい項目になるわけだ。これを教師間できちんと確認しているから、今回のような評価の相違があったとしても、それは実態を表しているのだから、やり直すようなことではなく、あまりに開いてしまった学力をどう調整していくかという課題が立てられるはずだ。

 しかし、文部科学省の指導で相対評価から絶対評価に変更され、多項目式になったが、教育委員会などから与えられるモデル項目をそのまま通知表の項目に設定し、テストは市販テストをそのまま使って採点するだけだけら、教師たちがじっくり取り組んでの結果にはなりようがないのだ。
 短い記事から推測するのは危険ではあるが、たぶんこんなことだったのだろう。あまりに違う評価に驚いて、「市販テスト」の結果を点検し、何点以上を「よくできました」にしたのか、とかそういうことをチェックしてみたところ、一方は例えば90点以上で、他方は85点以上だったことがわかり、それを揃えたところ、同じような結果になった、というようなことではなかったろうか。市販テストを使っているからこそ、簡単に再集計もできるわけだ。もし、昔のように、教師自身が作成したテストなら、簡単に再集計はできないはずである。

 この事件の問題はやはり、上から押しつけられた教育内容を、市販のテストで、上から押しつけられた評価項目で評価する、そういう現場のやり方、やらせ方の問題である。だからこそ、クレームがつくと、おろおろしてしまって、自信をもって、やったことの説明ができないのだ。そこに一番深刻な問題がある。もっともっと教師を信頼し、教師にまかせるような教育を保障しなければならない。もちろん、保護者はどんどん意見を言えばよい。それに答えられないような教師は教師失格だから、必要ない。

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