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zoom RSS 教育の再生か撲殺か(9) 管理職の増加は不要

<<   作成日時 : 2007/01/26 21:39   >>

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 安倍首相は教育改革にかけるのだそうだ。たぶん教育はますます混乱するだろう。
 いろいろな改革案がこれから出てくるそうだが、そのひとつに、「副校長や主幹ポストの新設」というのがあるらしい。こういうのは東京都で既にやっていると思われるが、学校にとって好ましいことではなく、害があるといえるだろう。
 学校というところは教育をするところであって、学校における教育とは教師が生徒に対して行うものである。もちろんそれ以外の仕事がたくさんあることは事実だが、教師と生徒が接する以外の仕事はできるだけ少なくするのが、教育の効果を出す、逆に言えば人的資源の有効な使い方であることはいうまでもない。しかし、今の学校は、生徒と接しない、つまり、直接の教育を行わない教師がどんどん増えているのである。
 ときどき事件が学校関連でおきて、校長が記者会見に臨むが、ほとんどの校長は事態を正確に把握しているようには見えない。校長が事態を正確に把握していれば、もともと事件などになる前に解決できることが多いはずだから、不思議ではないのだが、では何故校長や教頭が、事態を把握できないのか。それは彼らのほとんどが、子どもとあまり接していないからである。もちろん、廊下や集会で会うとしても、それでも子どもたちの教室での、つまり最も重要な場面での様子はわからない。だから、本当は校長も授業をやるべきなのだ。校長が授業をやってはいけないという法律はないし、実際に特別の授業を受け持っている校長もいる。もちろん、主幹とか副校長とか、主任とかも授業からはずれるのではなく、授業をやるべきなのだ。そうすれば、特に小学校の場合には、担任の負担が軽減され、より充実した授業ができるようになるだろう。
 ところが、今回出されている改革案はこれと全く逆の方向を向いている。管理職は授業をやらないという前提で考えられているのだから、それを増やすことは、授業をしない教職員を増やすことにならざるをえない。もちろん、その分授業をやる教師の人数を減らさない、あるいは増やすというのであればいいが、全体として教育予算に対する圧迫があるなかで、管理職を増やせば、それだけ授業をする教師たちの人数を圧迫することは明らかなのだ。
 正確なところはわからないが、国別で見ると、おそらく、学校の教職員の中で、授業をしない教職員の割合が高いほど学力が低い傾向があるはずである。当たり前だろう。
 低学力を克服するなどという問題意識を出しながら、授業をしない教職員の割合を増やすようなやり方で、学力問題の克服ができるはずがない。

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