教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 教育の再生か撲殺か(6)

<<   作成日時 : 2007/01/09 20:55   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 1月9日付読売社説は教育問題について、「ゆとりとの決別」を主張した。
 興味深い社説であったが、いくつかの点で疑問を感じる。
 読売新聞は教育基本法の改正には基本的に賛成のようだが、改正に基づくさまざまな個別具体的な改革が今後行われることに対して、最も重要なのは「ゆとり教育」との決別だというのである。

 「問題は改革の方向性だ。まず文部科学省が示すべきは、「ゆとり教育」との最終的な決別の姿勢だろう。
 1977年の学習指導要領改定で、戦後初めて、授業時数の削減と教育内容の精選が打ち出された。「詰め込み」「知識偏重」教育への批判が高まっていたころだ。
 授業時数が1割、教育内容が2割減った。02年度からの指導要領では、さらに教える内容が3割も減らされている。」

というわけだ。たしかに、文部省の「ゆとり路線」はおかしかった。現場では少しもゆとりではなく、ゆとり路線になってから非常に忙しくなったと言われている。それは多くの教師たちから聞くことができる実態である。内容を精選し、それをじっくり教えるということがゆとりのはずであるが、内容は精選されたが、ひとつひとつの単元を教えるべき時間数が逆に減ってしまったために、かえって急いで教える必要が出る、しかも、内容が精選されているから、つながりをつけることが困難になり、学力低下を招いたと考えられるのである。
 だから、ゆとり路線で学力が低下したと言われていることは否定できないが、ゆとり路線の何が低下の原因となったかは、読売新聞の認識が正しいとは言えないのである。

 読売新聞がゆとり路線を批判するのは、学力低下が国際社会において「認知」されてしまったかららしい。

 「その結果は、経済協力開発機構(OECD)など二つの国際学力調査結果が示す通りだ。日本の小中学生の学力は、世界のトップ集団から脱落してしまった。」

 この認識に現れている。
 しかし、トップ集団とは何か、という問題があるが、日本の低下は「脱落してしまった」というほどのものではないのであり、むしろ、もっと深刻なのは、学力の数値よりは、学習意欲の低下の方が大きいと言える。
 もともと、日本の教育における「優位性」は小学校中学校における学力の高さとして評価されてきたが、しかし、それは「理数」を中心とした学力テストを根拠としていたが、実は高等学校や大学段階になるとその学力的優位性は保持されていなかったのが、以前からの現実なのである。小中学校では理数の学力が高くても、大学になるとむしろ小中学校で低位だったヨーロッパ諸国に遅れを取ってしまうというのが、日本の学力構造の特徴だった。
 そして、今回のOECDの学力調査で顕著に指摘されたのは、読解力などのどちらかといえば「文系的学力」においてである。だから、それは落ちたのかどうかは、実はわからないのだ。以前から読解力は弱かったのかも知れないのである。
 理数の方は今でもそれほど悪いわけではない。

 つまり、国際的な比較(特に経済的先進国の間での比較)として言えることは、理数系の学力は(義務教育段階は)まだトップクラスにある、読解力は、おそらく以前も低かった可能性があるが、今回低いことが明らかとなった。そして、この学力テストにおいてではないが、各種調査によってわかることは、日本の子どもたちの家庭学習の時間がどんどん減少しており、学習意欲の低下が著しいことなのである。

 「ゆとり路線」が、詰め込み教育等への批判から出されたものであるが、その問題意識は決して間違っていたわけではない。
 学力をあげることは大切なことだからは、多くの子どもたちが理解できるような状態を保障することが大切であろう。そのためには、じっくり教えられる条件を保障しなければならない。少なくとも教育基本法改正のプロセスから、そうした保障姿勢を読み取ることは難しい。

 読売新聞社説がこの点の具体的提案としているのは、どうやら5日制の放棄、6日制の復活のようだ。しかし、5日制は労働側の要請もあるから、教師の6日労働制は無理だと考えているようで、

 「「土曜授業を復活させれば、授業数を増やしても子どもの負担は小さくて済む」「総合学習を土曜に集中してやる方法もある」。教育学者からも、そんな意見が聞かれ始めた。 文科省幹部も言う。「嫌なら教師は土曜日、学校へ来なくていい。教員志望の学生や教員OB、地域の人たちの力で学校を再生させるチャンスだ」」

という意見を肯定的に紹介している。だが、土曜日に授業をして、学生やOBでやるというのは、まともな検討ではない。子どもに出席義務を課して、授業はボランティアに行わせるというのが、制度として成立しないことは自明である。

 結局のところ、本当に問題なのは何か、読売新聞の社説はそこに認識していないということだろう。では何が問題なのか。それは次回に。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
教育の再生か撲殺か(6) 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる