教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 生む「存在」ならいいのか。少子化対策そのものが問題

<<   作成日時 : 2007/02/05 22:25   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

柳沢大臣はどうやら居すわるらしい。発言そのものはまったく不適切なものであるし、辞任すべきだろうと思うが、しかし、この発言がけしからん、女性蔑視のものだから辞任すべきだ、そんな人に少子化対策の厚生労働大臣は任せられない、というような単純なものなのだろうか、かなり疑問である。
表現として不適切ではあるが、ある面では「少子化対策」の考え方をずばりと述べたに過ぎないとも言えるのである。少子化対策とは、女性が子どもをもっとたくさん生むべきだということ以外のことを指すだろうか。女性は子どもを生むことに存在意義がある、とか、女性は子どもを生む存在だ、などという表現ならいいのだろうか。これもかなり厳しく批判されるのだろうか。
では、女性が子どもを生むかどうかは、女性自身が決めることであり、女性の自由である、というのはどうか。これなら女性蔑視という非難をあびることはないだろう。
しかし、これは既に少子化対策ではない。
つまり、「存在」というか「機械」というかは、言葉のどぎつさの程度であって、意味そのものはそんなに違いはしないとも考えられる。
私は少子化対策そのものが、問題なのだと考える。つまり、日本は人口が多すぎるのであり、そのために格差問題などや、住みにくさが生じているのだから、人口がもっと減るべきなのである。こんなに人口が多く、育てることに困難があり、こんな社会に自分の子どもを出現させたくないという気持ちがあるから、少子化という結果がもたらされている。もし、もっと人口が少なく、ゆったりとした生活が営めるようになれば、自然とこうした社会でこそ子どもを育てたいという気持ちになるのではないか。
スウェーデンでは子どもを育てやすい社会であるとほとんどの人たちが考えているのに対して、日本では育てにくい社会であるという実感をもつ人が多い。北欧が少子化傾向を若干抜け出したというのは、こうした「社会」があるからだろう。
とすれば、女性に生めというのではなく、生みたくなるような社会とすることが正しい唯一の対策なのである。そのためには、その前にもっともっと少子化が必要だろう。
経済の規模が小さくなったり、世界二位の経済大国の地位をすべり落ちるなどということはどうでもいいことで、重要なことは国民一人一人が豊かに暮らすことであって、国の経済力が大きいことではない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
 いいご意見ですね。賛同いたします。重要なことは、国民ひとりひとりの幸福であって、政治はそれに向かってまい進するべきですよ。そのためには高額所得が本当に必要なのか、家族が本当に必要なのか、仕事や教育が本当に必要なのか、生活環境をどうするべきか、そこをもういちどじっくりと考える必要が、ありそうですね。
罵愚
2007/02/06 05:03

コメントする help

ニックネーム
本 文
生む「存在」ならいいのか。少子化対策そのものが問題 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる