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zoom RSS 全国学力テストを学校が公表することは

<<   作成日時 : 2008/04/12 22:55   >>

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 朝日新聞の4月12日号に、文部科学省が実施した全国学力テストの結果を、ホームページで公表している学校があることが紹介されている。
 紹介されている宇都宮市のいくつかの実例を見てみたが、はっきりいって、新聞で説明されているようなものとは、印象が異なる。
 
 「形式を作った同市教委の担当者は「地域の協力を得るため、いろいろな情報を知らせる必要がある」と話す。各HPには成績と併せて課題や指導の工夫、改善策を載せており「前提となる成績の公表も必要。正答率だけに注目されるのは意図と違う」と強調する。5年前から市の独自テストの結果を同様に公表しているが、苦情はないという。」
 
 地域の協力を得るため、いろいろな情報を知らせる必要があるということは、確かだろう。しかし、「課題や指導の工夫、改善策を乗せている」というが、それほど具体的な改善策が書かれているとは評価できない。
 また、結局、全国平均、宇都宮平均、我が校の平均という三つの数字が比較されているだけで、結局のところ、「比較」「競争」という方向性であることは間違いない。「競争」で学力をあげることが可能な時代は去ったというのが、私の理解だが、現場では依然としてそうした意識にとらわれていることがわかる。
 学校が独自の判断で掲載したというが、分析そのものは学校で行なったかも知れないが、少なくとも学校が教育向上のために必要な分析を行なったものとは認められない。平均の数値を比較することは、具体的な教育向上の役にたつわけではないからである。「頑張り」を強制することはできるだろうが。
 もし、学校が本当に学力テストの結果を教育向上に資するようにするなら、もっと具体的な成績の分析を行い、それが自分たちのどんな教育の結果であり、改善すべき点はどうするのか、示す必要があるだろう。これでは、単なる競争主義と言われても仕方ない。
 
 ただ、法政大学の佐貫が語ったとして引用されていることについては、同意できる面と同意できない面がある。
 
 「しかし、佐貫浩・法政大教授(教育政策)は「教委の強い意思を感じる」と話し、背景に学校選択制や学校評価の広がりを指摘する。「指標として学力調査の結果は分かりやすく、公表の流れは強まるだろう。学校の序列化につながり、学校教育が学力調査の成績を上げることに一面化される恐れがある」と心配する。(葉山梢、中井大助) 」
 
というわけだ。佐貫氏は学校選択制に反対だから、それにつながることは当然阪大なのだが、学校選択制度を実施する立場から見れば、こうした学力テストの結果を公表することは、当然のことともいえる。そして、学校選択制度は多くの保護者に支持されているし、また、新聞に報道されているように、「公表しているが、苦情はない」というのも事実だろう。そういう親の立場に対して、佐貫氏はどう考えているのだろうか。

 ただ、学校教育が学力調査の成績をあげることに一面化される恐れがあるという批判はもっともだろう。そして、こうした公表が、特に、公表するという事実よりは、公表の形式が、そうした面をよく示している。つまり、全国、自治体、本校の平均点を比較するというやり方である。しかし、現場をよく知る者なら、平均点だけでは、学力の実態はわからないことは常識である。平均点だけではなく、もっと分布などの丁寧な分析が必要であって、新聞に紹介されている自治体の結構公表の仕方をみると、とにかく形式も教育委員会が提示して、それに従って各学校が作成したという感じが濃厚である。「教育委員会の強い意思を感じる」という佐貫氏の指摘は、そうなのだろうと思う。教育委員会がそうした提示をすることが悪いとは思わないが、それをほとんどの学校がそのまま取り入れ、自分たちの分析や、公表形式を創造しないという点にこそ、現在の学力問題の根っこがあるように思うのだが、どうだろうか。もっとも、中には、単なる平均の比較から、もう少し丁寧な分析を行い、授業改善の方向をだそうしている学校もある。そうした取り組みは、高く評価できるのではないか。

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>「競争」で学力をあげることが可能な時代は去ったというのが、私の理解だが、現場では依然としてそうした意識にとらわれていることがわかる。

現場の体制としては、7年前までは「競争原理」の有効性は否定されませんでした。
あくまでも、「学力」という言葉の定義で私は多くの人と異なるので問いませんが
 専門の地歴の関して言えば、成績の分析は難しいこともあります。複合的な歴史出題によって時代、国別の点数の違いは明確化できるでしょうが、それでは具体的な教育方法論の改定には帰結しないと思うのです。
何よりも、その結果によって学習形態を変えるような時間的、人員的余裕が多くの学校に存在しないというのが私の結論です。(それを仕方ないとは思いませんが)
 そして、世論が見る教育委員会の目が厳しくなってきた部分で、教育委員会が悪い意味で安易な結果論を提示しようとしているのではないでしょうか?
 地方の元高校教師としては、そもそも「学力とは?」という論争ができない状態と、ゆとり教育批判の質から不満があるのですが・・

冥王星
2008/08/24 14:22

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