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zoom RSS 人間としての校長は、教師と協調し、意向を汲んでリーダーシップを発揮する

<<   作成日時 : 2008/05/21 22:00   >>

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 今日(5月21日)の朝日新聞に掲載された記事、都立高校の校長が、都教委の通達、「職員会議で挙手をさせることを禁止する」ということに反対し、撤回を求めているという記事は、砂漠のような都の教育行政の中で、オアシスのような感じを与えるものだ。都の教育委員が、君が代を全校で確実に歌わせるのが自分の使命であるかのような発言をしていたのに対して、天皇が苦言を呈したことは記憶に新しい。
 都の教育行政はとにかく上意下達が甚だしく、上でものごとを決め、下に命令する姿勢が極めて強い。教育現場は萎縮し、物言わぬ人々が多数生まれている。こうした傾向は近年ますます顕著になっているように感じられる。
 件の通達とは2006年に出されたもので、「職員会議を中心とした学校運営からの脱却」を掲げ、校長の意思決定に影響を与えないよう、職員会議での挙手や採決で教職員の意向をはかるのを「不適切であり、行わないこと」と禁じたもので、4校の校長が厳重注意処分を受けたのだそうだ。
 こうした都教委の姿勢は、校長という存在の「人格」と「機関」とを全く混同したところから出ているものだろう。逆にいえば、自分たちの「教育委員会」という権限をもった組織を、自分の「人格」として行なっているかのように錯覚しているということなのだろうと思う。
 学校運営に責任をもつのは、校長という「機関」であり、実際に動いているのは人間としての校長だ。そして、学校で働いているのももちろん、人間としての教師であるから、「機関」としての校長が円滑に機能するためには、人間としての校長が、人間である教師たちとコミュニケーションをとり、お互いに共感しあいながら協力することによって、はじめて、実現できるものだ。そうした、人間としての交流があって、はじめて、教師はその仕事、つまり、教師という機関が動くのだし、また、校長が機関として、責任をもった決定ができ、それが実効性をもつのである。
 校長の意思決定が教師の意思を無視して行なわれるのだとしたら、教師たちが、校長の意思を呈して動くなどということを期待する方がおかしいのは自明のことだろう。
 しかし、一方で、この記事は、多くの校長の代弁者なのかはわからないが、次のような校長の弁を紹介している。
 
 「土肥校長の言う通りだが、教職員組合に決定権を握られると困る。都教委か組合かと言われれば、多くの校長は都教委につくしかない」
 
 なんとまあ、情けない校長だろうか。これは、つまり、自分が教師たちとのコミュニケーションがとれないのだと告白していることと同じだろう。だいたい今の東京の学校で、組合員が多数派であるような学校があるのだろうか。どの学校でも、組合員はごくごく少数派のはずである。そういう状況で、挙手をしたら、自分の意見に反して、組合に決定権を撮られてしまう、などということが起きるのだとしたら、その校長がいかに酷い主張を無理に押しつけて、組合員でもない教師が、組合員に同調する、という図式を考えるしかないではないか。
 このように、まるでリーダーシップ能力の欠如した校長は、残念ながら少なくないようだ。そして、そうした校長こそ、都教委が望んでいるのだろう。

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>だいたい今の東京の学校で、組合員が多数派であるような学校があるのだろうか。どの学校でも、組合員はごくごく少数派のはずである。そういう状況で、挙手をしたら、自分の意見に反して、組合に決定権を撮られてしまう、などということが起きるのだとしたら、その校長がいかに酷い主張を無理に押しつけて、組合員でもない教師が、組合員に同調する、という図式を考えるしかないではないか。

日教組の組織率とその加盟者の職域を見れば、日教組の影響力は、安保闘争時代などとは比較できないほど、矮小化したのですが、日教組の呪縛から解放されない被害者による共同幻想が働くのでしょう。
擬似的(思い込みに近い)被害者の自己防衛として、どうしても論題になるのでしょう。
しかし、日教組は問題になりますが、日本医師会連盟とか政治的に結合した組織などたくさんあるのに、どうして日教組だけ槍玉になるのでしょうか?
私からすれば、反面教師としての素材になる教師を輩出した功績を想定しますがね。(全ての日教組の教師がダメなわけでもないですしw)
冥王星
2008/08/24 13:49

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