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zoom RSS オリンピックの野球を考える

<<   作成日時 : 2008/08/26 09:17   >>

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 オリンピックが終わった。実はあまり興味はないのだが、テレビはオリンピックばかりやっているので、それなりに見た。一応野球少年だったので、野球の推移は興味があったので、時間があったら多少は見てみた。いろいろなことが書かれているに違いないし、また、多くの人が考えていることと、そんなに違うことを考えているわけではない。しかし、いくつか書いてみたい。
 端的にいって、負けるべくして負けたというのが妥当ではないだろうか。上位3チームに一勝もできなかったというのだから、勝てるはずはなかったと考えるべきで、調子がどうのこうのという問題ではないだろう。しかし、それでも星野監督は、たまたま調子が悪かった時期にあたってしまったと弁解したようだが、調子が悪いことは「選手を決めた段階」で分かっていた部分もあるし、変更可能な段階でけが人もいた。そういう選手を連れていったのだから、「たまたま調子が悪くなった」わけではなく、「調子が悪い選手を選んだ」当人の弁明としては、不適切だろう。
 結局指導者の選び違いということだったのではないか。最初にアメリカに負けたとき、田淵コーチは韓国の方が与しやすいなどとメディアに向かって言ったようだが、最悪の発言というべきだろう。以前の近鉄−巨人の日本シリーズを思い出させる発言だった。近鉄が3連勝したとき、ある投手が巨人がこんなに弱いとは思わなかったというような発言をして、巨人選手を怒らせ、発奮させて、その後の巨人4連勝という結果になったあの発言である。こんな発言をコーチがやっているようでは、「緩んでいる」と批判されても仕方ないだろう。
 さて、だからといって、こうしたことが適切に処理されていれば、つまり、調子の悪い選手が外され、調子がよくけが人がない状態で臨めば、金メダルをとれたのか、というと、その可能性はあったろうが、確実だったとは思えない。というのは、やはり、韓国やキューバの選手の置かれた条件が日本とは異なるからである。
 何故WBCでは、日本が勝ち、今回韓国が勝ったのか。これは、WBCでも、実は最初は日本が負けていたのであって、勝ったのは、韓国政府が「選手の兵役免除」を約束したあとだった。そして、今回は、おそらく金メダルが兵役免除の条件となっていたのではないだろうかと思われる。私が見る範囲では、その点について正確に書いてある記事がなかったので確実ではないが。WBCのとき、兵役免除が約束されたあとの韓国チームは実に弱かったことを、多くの人は覚えているだろう。その反省から、条件の引き上げをしたに違いないのだ。
 このことでわかるように、韓国やキューバ(社会主義だから、その成績が選手としての地位に直結する。)の選手にとっては、自分の人生がかかっているような大きな「賞罰」が存在していたのである。ところが、日本の選手には、「期待」「名誉」以外のものはあまりないのではないか。むしろ、ペナントレースを離れなければならないというハンディを感じる部分の方が多いに違いない。打率争いをしている選手ならともかく、打点やホームラン、最多勝利を狙っている選手にとって、試合を離れることは、即不利になる。大砲がいなかったというのも、そうした事情があったのだろう。そして、メダルをとったからといって、格別名誉以外の実益があるわけでもなかろう。多少の報奨金があったとしても、高級取りの彼らにとってみれば、小遣い程度に違いない。
 これだけインセンティブに相違があれば、これで勝つというのは、かなり至難の技というべきだ。
 さて、だから、日本選手にもそうしたインセンティブ、報奨を魅力的なところまで引き上げるとか、そういうことを主張したいわけではない。逆だ。勝てなかったことを、そんなに非難する必要はないし、勝てなくてもいいじゃないか、ということをいいたいわけだ。
 今日のニュースによると、文部科学省は、オリンピックにむけて、メダルをとれるような体制をとるべく、予算の増額要求をするそうだ。少し前の報道で、文部科学省は、教師の手当ての引き下げを要求する方針を固めたというニュースがあったばかりだ。文部科学省というところは、教育現場をよくするために施策を行っているところだと思っていたら、どうも逆らしい。
 確かに、メダルをとることは、国民に夢を与えるかも知れない。しかし、例えば、国民の義務である兵役を、メダルをとると免除される、そのために、膨大な予算も使う、ということが、本当に「夢」を与えているのか、そういうことを知っても、率直に喜べるのか。韓国の福祉の状況はわからないので、断定はできないが、例えば、日本では、年金や医療で福祉の切り下げが顕著に進み、生活も困難な人たちがいるなかで、そういう予算を削減し、一部のスポーツ選手のメダル取り、あるいは国威発揚のための予算を増額することが、政治として適切なのか、私は多いに疑問だ。
 スポーツは勝ち負けがあり、負けたらからといって、命が失われるわけではない。どうどうと勝負して負けたら、それでもよいではないか。しかし、年金が減らされ、生活不可能になり、命が脅かされる人が大量に出てくることは、許してはいけない。
 一部の選手の強化のためではなく、国民全体を相手にする教師の手当てを維持することの方が、私には、文部科学省のやるべきことのように思われる。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
全くの同感です。
個人的にはオリンピックは好きですが、普段から脚光を浴びているプロを出してもそもそも面白くない。
有名人がわざわざCMで「東京にオリンピックを」と呼びかけていますが、そんな余裕東京都にあるわけが無いと思います。
オリンピックは子供達に夢を与えるそうですが、自国の選手の勝ち負けだけを極端に重視するのはあんまりキレイなものには感じないですね。
いわた
2008/08/27 12:06

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