教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS デイ・キャッチの「学校以外の勉強禁止」なる番組について

<<   作成日時 : 2009/08/27 23:04   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 車に乗るときには、大抵TBSラジオをつけているが、今日(8月27日)「荒川強啓デイ・キャッチ」を聞いていたら、デイキャッチャー・マニフェストというので、山田五郎なる人物が、「学校以外の勉強は一切禁止せよ」というので、リスナーの声を交えながらの議論をしていた。残念ながら、つけたらやっていたので、最初の問題提起を聞くことができなかったのだが、どうやら、塾禁止ということらしく、リスナーは、学校の先生がちゃんと教えてくれないから、塾は必要だというような意見を述べていた。そして、まとめの段階で、山田五郎なる人物が、はっきり言うと、めちゃくちゃなをことを述べていたので、公共の電波を通じて、こういういい加減なことを、ある程度ラジオとしてはレベルを保持しているとされているこの番組で言うのかと、がっくりきたわけである。

 彼の言っていることは、今の学校はまったく機能しておらず、その原因は、「平等主義」で、順位もつけず、いいかげんなことをやっているから、公立義務教育は、だめになったというのである。そもそも、人は個性をもっているのだから、その個性を延ばし、いろいろなことを認めて、みんなが大学を目指すのではなく、職人になりたい人は、中卒でもやっていけるような教育を行い、また高校なども、普通高校ばかりではなく、職業科も充実させ、社会も大学卒という資格を、採用に求めることのないようにすべきである。塾などの教師は、実力もあり、むしろ、どんどん塾の教師を学校で教えさせたり、また、塾を学校として認めたらいいのではないか、それが真意であり、実は、学校以外の教育、つまり塾を禁止するのではなく、塾を学校として認めるということなのだ、ということで締めくくっていた。

 少しでも、まともに考えれば、すぐに矛盾に気づくはずであるが、山田五郎は、順位をつけない平等主義がいかん、と言っておきながら、それぞれの個性にあった教育をすべきで、職人は中卒でもよく、普通科、職業科、それぞれ違う教育をすればいいなどと言っていた。ならば、こうしたまったく違う内容、違う目的の教育を受けている生徒の「順位」をどうやってつけるのか。順位というのは、「同質性」を前提にしてつけられるものなのだ。むしろ、日本の学校は、戦後のほとんどの時期、受験体制を前提していたから、同質的な競争主義が支配的だったのが事実であって、まったく順位をつけない教育をしている学校など、あったとしても、例外中の例外であろう。

 塾の講師は、いいかげんな公立学校の教師に比較して、とてもよくやっていて、信頼されているという。どういう理由でそのように述べているのか定かではないが、そもそも、塾の講師というのは、義務教育の公立学校の教師より、比較にならない位「やりやすい」条件があるのだ。塾は、お金を払って、勉強したい生徒が申し込み、方針に合わなければ止めさせることもできる。そして、塾の目的は、特定の教科の成績をあげること、受験関連の力をつけることに限定されている。それに対して、学校では、生徒を選ぶことはできず、どんなに迷惑な子どもでも、受け入れ指導せざるをえないのだし、また、受験に関わる学習だけではなく、様々な実技科目や、行事、生活指導等、比較にならない程多様な内容の教育・指導に携わっている。塾というのは、そうした学校の指導の上に、限定的な教育をしているだけなのであり、学校の教師と塾の講師を同じレベルで比較することなど、まったく合理性を欠いているのである。もちろん、だめな学校の教師がすくなからずいること、実力のある塾の講師がいることは、十分に認識している。しかし、学校ではほとんど教育が行われていないなどということを、どんな根拠で言っているのか、きちんとした調査でもしたのだろうか。あるいは、通常の学校の日常的な指導を、広く見学したことがあるのだろうか。もし、山田五郎なる人物が、時間をかけて、公立の小学校や中学校の実践を、じっくりと観察する機会をもったとしたら、今の学校は、まったく機能していないから、塾を学校として認めろ、などという主張などしないだろうと確信する。番組では、わからないことは、塾の先生に聞きなさいなどと指導したという学校の先生の話がたくさんでてきていたが、そんな教師は確かにいるのだろうが、少数のはずであるし、それで学校全体の評価をするなら、酒井法子や押尾学が麻薬をやっているから、芸能界全体が麻薬に汚染されている、と主張するようなものだろう。そういう主張は、芸能界への偏見を生むだけだと思うが、学校の教師についての山田五郎の言い方も、同じである。

 また、大上段に構えた議論をしている割には、教育という行為を学校とか塾とかに、限定している発想を、貧弱に感じざるをえない。そもそも、教育というのは、人類が人類にふさわしい存在になったときから存在する、普遍的な行為であって、学校は、歴史的にも、また社会全体の中の位置という点でも、その一部を担っているにすぎない。しかし、学校が国家制度の中で発展してきた際に、過度に社会の教育を、国家制度としての学校に吸収してしまったという事実が、特に日本では顕著なのであるが、それでも、学校以外の、もちろん、塾などのような組織以外の、自由な私的な教育行為は、いくらでも存在しているのである。芸能人、芸術家、プロスポーツ選手等々は、その主な技術・実力を学校教育の中で修得したのではないだろうし、また、期待もしていなかったに違いない。工芸家などのさまざまな技術をもって仕事している人たちも同様だろう。しかし、そのことをもって、学校教育を非難する人はいるのだろうか。
 人びとが形成する能力は、実に多様であって、学校がその育成を担う部分は、今でも尚極めて小さな部分に過ぎないのである。とするならば、「学校以外の勉強は、一切禁止せよ」などということを、そもそも題目とするというのは、単なる「うけ狙い」以外のなにものでもなく、問題を真に掘り下げることを妨げるだけである。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
デイ・キャッチの「学校以外の勉強禁止」なる番組について 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる