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zoom RSS 浜名湖での事故について。

<<   作成日時 : 2010/06/19 13:01   >>

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 6月18日に起きた浜名湖での事故は、現在の学校教育のひとつの大きな問題を浮き彫りにすることになるだろう。単なる校長の管理責任とか、そういう小さな問題として処理されるべきではない。

 報道で確認できることを整理しておこう。

1 豊橋の中学から生徒約90名、引率教師5名および校長が、静岡県の青年の家で「野外活動」として合宿を行っている最中のできごとであった。
2 訓練はカッターボートの操縦法を学ぶためで、青年の家に所属する3人の職員と、5人の教師が、4艘のボートに分かれて乗り、事故が起きたボートには、職員はおらず、教師二人が無線で助言を受けながら、指導した。
3 当日天候が悪く、危険を感じた人たちもいたが、青年の家(教育委員会所轄)がこの程度なら大丈夫と判断して、訓練が実行された。
4 職員のいないボートから、船酔いをして漕げない生徒が出たので、モーターボートで曳いて帰ろうとしている途中で、ボートが転覆し、転覆したボートの中にとじ込められた形になった生徒が死亡した。

 他にもいろいろと報道されている。まず天候が悪かった場合のルールについて、校長は「知らなかった」と報道陣に述べていたようだ。
 また、この青年の家の管理は、県教育委員会のものであるにもかかわらず、実際上の管理は、「小学館集英社プロダクション」が管理しており、県職員は一人もいなかったという。最近はやりの「民活」で運営されていた。利用者は多く、平成21年には4万以上の人が、カッターボートの訓練に訪れていたという。

 さて、いくつかの問題を考えてみよう。
 そもそもこれはどのような行事なのだろうか。私が読んだ限りでは新聞ではよくわからないが、当該学校のホームページによると、一年生を対象とした「野外活動」であるらしい。昨年の年間行事表が出ているが、今年の行事表がホームページに掲載されていないのは、学校として、ホームページを管理する能力が低いのだろう。

 明らかに「学校行事」として行われているようだが、このような行事の参加は、「任意」なのだろうか、あるいは、「強制」なのだろうか。もちろん、形は任意だが、実質は強制というのもある。しかし、海での訓練というのは、戦後の学校の歴史を見れば、直ぐにわかるように、「死亡事故」の危険性が伴うものである。以前はよく行われていた水泳のための「臨海学校」では、死亡事故が少なからず起きて、今ではあまり行われていない。
 もし、十分に泳げない生徒が、このような行事に実質的に強制的に参加させられるのだとしたら、いつか事故が起きて当然ともいえるだろう。

 そこで、日本の水泳の授業を考えてみよう。

 最近は少し変化があるが、日本の水泳の授業は、基本的に「競泳」を学ぶものである。私がオランダでみた水泳の授業は、「楽しむ」ことと、「危機脱出訓練」が目的であり、競泳を学ぶことは、ほとんど課題ではなかった。実際にオランダ人はボートで運河を航行することが、最大のレジャーのひとつだから、子どもたちが運河に落ちてしまうことがよくある。そういうときのために、着衣水泳を含めた危機脱出訓練をするわけだ。
 危機脱出訓練は、国民の多くに必要だが、競泳は好きな人が、社会教育の中で行えばよいという制度である。

 ところで、この学校で、こうした訓練を十分に行った上で、ボートの操縦法を学ばせていたのだろうか。
 また、この訓練プログラムそのものの中に、そうした内容が含まれていたのだろうか。詳細は報道ではわかならいが、どうも不十分であったと考えざるをえない。専門の職員が加わらないボートがあり、実際にそこで死亡事故が起きたということは、全体としての安全管理の甘さが、最初からあると思われる。

 近年、文部科学省等の「上」からの、そして、保護者たちの「下」からの(上下は比喩的であるが、実際に多くの人たちがそのように感じているので、書いておく。)こうした「宿泊行事」への圧力が、学校に対して高まっている。しかし、本当のところ、学校としては大きな負担であり、もちろん、何事もなければ、生徒たちは大いに喜ぶのが普通だから、教師たちとしても、頑張って実践しているだろう。
 しかし、こういうことは、本当に「学校の課題」「学校の仕事」として、ふさわしいのだろうか。学校があまりにたくさんの任務を引き受けざるをえないことが、教師たちのストレスを生み、様々なところで歪みが出ているのだが、私は、このような行事は、学校から切り離すべきであると考えている。

 まず、泳げない生徒にとって、危険である。また、ボート操縦が、生活に必須の技能であるとも思えない。基本的には「趣味」の領域だろう。しかも、学校の水泳授業は、先述したように、「競泳」主義であり、安全対策としての授業にはほとんどなっていない。そのような状態で、かつ「一年生」を対象として、このようなプログラムに事実上、学校行事(事実上の強制参加)で行うことは、最初から危険を内包しているし、また、その危険に対して、子どもたち自身が十分に対応できないまま参加させられることを意味している。
 それから見過ごすことができないのは、この事故が、「民間委託」、最近公的施設の管理を民間に委託することが多くなっているが、ここでは、建物管理だけではなく、実際の業務も委託していたことがわかる。最終責任はそれでも県がとることになるのだろう。つまり、かなり危険が伴う内容を行っていたにもかかわらず、その責任の在り方が、きわめて中途半端なのである。もし、教育委員会の完全管轄、あるいは、民間企業の完全な営業であれば、もっと事故対策が慎重に行われていた可能性がある。民間企業であれば、悪天候の中で死亡事故が起きれば、致命的な問題を引き起こすのだから、おそらく、中止したのではなかろうか。
 また、学校行事として行われていたために、日程変更等が制限されていたとも考えられる。

 結論として、公的施設の安易な民間委託の問題、および、本来国民すべてにとって必要な内容を学ぶというところから大幅にはみ出して、趣味の領域も学校行事として行っている、現在の学校教育の機能の削減が必要であることを、この事故は示している。

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