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zoom RSS 国歌起立・斉唱最高裁判決について考える

<<   作成日時 : 2011/06/05 14:16   >>

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 最高裁判決で、「国歌起立斉唱の職務命令は違憲ではない」という判決が出たことで、産経新聞やこの主張をしている人たちは、大満足のようだ。まだ、この判決全文がインターネットでは入手できないので、熟読していないが、今回の事例は、都立高校の教師だった人が、起立・斉唱しなかったために、戒告処分を受けたことがあり、定年退職後、通常採用される再雇用がなされなかったのが、不当処分だと訴えた裁判の判決だったらしい。再雇用は、処分ではないので、不当処分とはいえないというのが、判決の主要部分ということだろう。ただ、報道されていることによれば、その際、かつての戒告処分に関して、起立・斉唱を職務命令するとは、不当ではないという判断を加えているらしい。そのことは、この訴訟の一審・二審でも判断が示されている。
 
 さて、この判決が、全く正当で、そもそも国歌斉唱のときに、起立も斉唱もしない教職員がいるような国は、世界中で日本だけだ、それだけおかしなことだ、しない以上命令するのは当然だ、という論調がかなり目立っている。
 しかし、今回の原発事故に見られるように、新聞がいいかげんなことを書くのは、珍しくないから、今回のこのことも、報道機関としての誠実さをみる上で、慎重に検証しておく必要があろう。
 
 確かに、事実として、国歌斉唱のときに、起立もしないし、斉唱もしない人たちが少なからず出るという国はめずらしいに違いない。しかし、そんなことに、職務命令を出すことは、もっとめずらしいだろうし、処分するということは、更にもっと珍しいだろう。
 更に言えば、そもそも国歌に対して否定的な感情を少なからぬ人たち、特に歴史についてきちんとした知識と知見をもっている人たちがもっているという国も、かなり珍しいのではなかろうか。ほとんどの国では、国歌や国旗に対して、肯定的な感情を国民がもっているだろう。
 
 では、国歌に対して、否定的な感情をもっていることは、まったく不当なことで、正当な理由がないのだろうか。もし、そう言い切る人は、歴史から学ぶ姿勢がない人というべきだろう。現在の君が代に対して、否定的な感情をもつことは、歴史的に合理的な理由があるのである。その問題をまったく解決する意志がなく、単に命令で押しつけるから、ますます否定的感情が強くなっていると考えるべきだろう。
 命令する側に、もう少し、広い人間的感性があれば、命令ではなく、もっと合理的な話し合いの余地があるはずである。
 
 では、否定的な感情が起きるような事態に陥った国は、他にないのか。もちろん、それはある。ドイツである。ドイツは、世界に冠たるドイツという有名な国歌があり、それはヒトラーも愛する歌だった。だから、ドイツは、この国歌をどうするのか、当然議論の対象になった。日本の君が代と違って、このドイツの国歌は、ハイドンという大作曲家が作った曲で、曲としてはすばらしいものであり、かつ、歌詞が3番まであり、問題となるのは、1番であることから、現在では3番を国歌として使用している。つまり、戦争を引き起し、世界に迷惑をかけたことを、率直に反省して、曲は変えないが、それまではあまりうたっていなかった、特に批判される内容を含んでいない歌詞に変更している。
 ところが、日本では、曲も歌詞も全く変えることなく、明らかに天皇賛美である歌詞を、天皇のことではないなどという詭弁をもって説明するようなことが行われているし、他方、日本が行った戦争は、決して侵略戦争ではなく、アジアの解放を目指したものなのだなどという国際的に全く通用しない主張が行われているわけである。君が代強制に不安をもつ感情が増幅される事態が依然として存在している。
 
 私は外国の卒業式に参列したことがあるが、国歌斉唱のときに、確かにほとんどの人は立っていたが、座っていた人も皆無ではなかったように思うし、また、歌っていない人はいくらでもいた。それに「厳粛」な雰囲気などはどこにもなかった。
 
 このように考えると、奇妙なのは、確かに抗議的に起立しない人がいることもそうだが、「職務命令」などを出して強制し、違反者を「処分」する、歴史的問題があると少なからぬ人が指摘する内容に、全く反省どころか、検討すらしないまま、それを強制するということも、「世界的にほとんどない異常なこと」であることを、認識すべきであるといえる。
 
 それから、「歌う」ことは、明らかに、良心の問題であり、それを命令することが違憲ではないという最高裁の判決は、最高裁が憲法の番人であることを放棄したものであると言わざるをえない。
 昔から、最高裁の番人ぶりは、ほとんど実態がないともいえるが、またか、という感じである。
 
 ただ、私は、全面的に、起立斉唱しない組合の方針に賛成しているわけではない。起立する・しない、と、歌う・歌わない、とは多少異なることであると思っている。式で国歌を歌うというのは、公立学校である以上、別におかしいことではないのだから、歌われる場に対して、礼儀は存在する。だから、どんなに君が代に疑問がある人でも、少なくとも式典に対しての礼儀として起立はすべきではないかと思う。しかし、声を出して歌うかどうかは、完全に個人の良心の問題であり、強制は決してあってはならない。
 都教委は、実際に歌っているかどうか、係員が近くまでいって確認するというようなことをやったとか、そこまではいっていないとか、いろいろと噂があるが、そんなことをしたら、まさか、最高裁でも、「違憲ではない」とは言わないだろう。
 
 もし、学校の運営者や、管理者が、より柔軟な姿勢をもって、このような話し合いをすれば、双方の納得する措置が不可能だとは思えない。職務命令とか、直ぐに出したがる管理者の方が、先に歩み寄りを示すべきである。

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