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zoom RSS インターネット革命と大学の「紀要」

<<   作成日時 : 2011/12/30 16:54   >>

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 今、大学は、かなり多様性を増している。もっとも、戦後新制大学が出発したときから、戦前の状況を受けた種別化があった。しかし、現在の多様性はその比ではない。従って、私自身の経験は、一般性をもつものではないが、やはり、具体的な経験をもとに考察したことが意味があるので、自分の体験を踏まえながら、インターネット時代の大学のあり方を少しずつ考えていきたい。

 今回は「紀要」について。
 「紀要」といっても、理系の人たちはほとんど縁がないだろう。自然科学系の研究論文は、まずは国際学術雑誌に、そして国内の学術雑誌に、そのレベルに応じて投稿していくので、大学内の、しかも多くの場合審査もない紀要に投稿するシステムそのものが存在しないことが多いようだ。しかし、文系では以前から、学部の教員が書く「紀要」という学術誌が存在する。もっとも、以前から、紀要を読む人は、本人と印刷所の人だけなどと揶揄されてきたが、今は決してそうではない。これもインターネット時代の恩恵といえるが、多くの紀要は、電子化されて大学や学術雑誌のサイトで読むことができるから、かつてより、遥に多くの読者を獲得している。しかし、現在でも、基本形である紙媒体で読まれることは、ほとんどないのが実情である。読まれたとしても「抜き刷り」をもらった人が、それを読むくらいではないだろうか。
 この「紀要」を、私が勤務する大学で委員をしていたときに、かなり大きな改革をした。そのときの経験は、現在の大学人の思考様式を示すものとして、とても興味深いものであった。
 先述したように、紀要の多くは、電子版を作成して、インターネット上で読めるようにしている。しかし、そのほとんどすべては、印刷されたものを単にコンピューターで読めるようにしたものに過ぎない。つまり、現在では印刷用の原稿も一端コンピューター用のファイルにするから、そのファイル化したものをpdfにして、インターネット上にアップするわけである。しかし、私はこれを根本的に改めたいと思ったわけである。
 インターネット上にアップするファイルを先に作成して、その後印刷用のファイルとして使用するというように、順序を逆にしたのである。もっとも順序を逆にするといっても、実際にはひとつのファイルしか作らない。つまり、両方に使用可能なファイルを作成できる組版ソフトへの切り換え、作業を電子版を先に作るという程度である。それは何が違うのかということだが、現在の印刷所が使用している組版ソフトの多くは、紙に印刷するためのものだから、マルチメディア機能を使用することはできない。だから、紙印刷用のファイルを電子化しても、紙で読む内容をディスプレイ上で読むだけのことになる。しかし、最初に電子バージョンを作成すると、現在コンピューター上で可能なマルチメディア的機能をフルに使用することができる。映像、音声、リンク、アニメーション等々。私は早速、これが実現したときに、映像を使用してみた。ただ読んでいるだけでは、紙と同じだが、写真をクリックすると、それが映像として動き出すようになっている。
 残念ながら、こうした機能を使用して論文を書く人は、まだほとんどいない。しかし、あと数年たったら、これは通常の書き方になっていくと、私は考えたい。ただ、この方式転換は、提案時に大きな抵抗にあった。「紙」に印刷されるから「残る」のであって、ファイルなどになってしまったら、どんどん消えていくだけだ、だから、学術雑誌は紙でなければならない、などという議論が大きかったのである。もちろん、それは誤解に過ぎない。今古典とされている書物は、決して、紙だから残ったわけではない。残るような優れた内容だから、その時代ごとのメディアの形態に移しかえられることで、現在まで伝えられたのである。そうでなければ、聖書などは、現在われわれが読むことができないわけだ。実際に、今印刷に使用される「紙」は50年程度の寿命しかないと言われている。50年たつとボロボロになってしまうわけだ。だから、新しく印刷されなおされてこそ、読み継がれるわけで、それは、コンピューター用のファイルでも同じである。現在のファイルがそのまま何十年後にまで保持されるわけではないとしても、優れた内容であれば、次のメディアに写されることで生き延びるのである。
 しかし、ここで考えたいのは、グーテンベルク革命が、それまでの筆写形態から、大量印刷になって、まったく異なる「読む形態」が編み出されてきたように、(日刊新聞等)インターネット時代になって、これまでの書籍とは全くことなる形態の「読む形態」が次々に現れ、そして、そのうち優れたものが生き残ることになるだろうという点である。
 グーテンベルク革命で、それまでの大学が死んだとするならば、インターネット革命で、現在の大学は、時代に応じた変革をとげることができなければ、死滅せざるをえない危険があるという点である。私の紀要をめぐる小さな試みは、インターネット時代の新たな情報形態に、紀要という学術論文を適合させるためのものだった。しかし、今後もどんどんその形態は変わっていくだろう。大学人の意識がそれについていけるのだろうか。

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