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zoom RSS ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む。震災復興のあり方に注意の視点が

<<   作成日時 : 2012/01/10 12:11   >>

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 ナオミ・クラインというカナダのジャーナリストが書いた『ショック・ドクトリン』を読んだ。30カ国で出版され、日本でも昨年9月に遅まきながら翻訳が出た、世界的大ベストセラーだ。趣旨は極めて明快で、新自由主義は、「自由の重視」というようなきれいごとではなく、大企業が不当なまでに儲けるために、紛争を意図的に作り出し、(あるいは自然災害が起きたら、それを最大限利用し)そこにある既存の経済システムを破壊して、蓄積された富を奪い、本国や現地の税金を収奪するシステムであり、それに反対する人間を拷問にかけて黙らせるという荒技を使って、世界中で人々の生活を破壊してきたという。そうした「実例」を詳細な取材をもとにして明らかにしたものである。アマゾンのブックレビューでも多数の書き込みがある。
 私が大学性から大学院生になったときに、チリでのアジェンデ政権の転覆が行われた。私はアジェンデ支持の人たちの多い研究室にいたし、また、実際アジェンデのやっていることは国民の利益だと思っていたので、ピノチェトの軍事クーデターは極めて悪質なファシズム的やり方だと思っていた。しかし、日本のメディアでも、それなりに報道されていたと思うが、当時、ベトナム戦争のために反米的な空気が、まだ日本には大分あったためだったのだろうか。
 専門ではないが、話題の書物として、フリードマンの『選択の自由』を読んだが、全くのいかさま本だとしか思えなかった。要するにアダム・スミスの復権を主張し、ケンインズ政策を批判するのだが、アダム・スミスの議論を換骨奪胎したもので、企業活動にとって都合のいい部分だけを抜き書きしたものに過ぎないとしか思えなかった。その違いが明瞭に現れているのは、アダム・スミスの重要な概念である「労働価値説」を全く無視していることと、アダム・スミスが大学では「道徳」に関する教授であったことが、全く無視されていることである。「神の手」というのは、決して、単なる「自由放任」ではなく、そこに「倫理性」が担保されていることが、前提条件であることを示している。しかし、新自由主義者たちの共通の性格として、「倫理性の欠如」があるわけだが、それはフリードマンの書物に、最初から感じられる特質であった。
 『ショック・ドクトリン』は、新自由主義の「倫理性の欠如」が、極限的なものであり、大企業が儲けるためには、何をしてもいいのだ、という、日本の暴力団だって、そこまで反倫理的ではないと思われるようなことを、政治権力を利用して行ってきたことを暴いている。

 ところで、この本に日本のことは全く触れられていない。日本は、こうした新自由主義の餌食にならなかったとナオミ・クライン氏は解釈したのだろうか。クライン氏のホームページをみても、日本が新自由主義の餌食になったような記述はみられなかった。アマゾンのレビューでは、震災と原発の二重の被害に苦しんでいる今、ショック・ドクトリンの餌食にならないようにという警告があるが、もちろんそうだが、過去になかったのかの検証も必要であると感じる。国鉄や電々公社の民営化、85年の円高、日本債権信用銀行の処理、バブルとその崩壊、小泉・竹中改革など、そうした要素がなかったのか、専門家の検証が待たれるところだ。
 
 私のゼミでは、今年度の共同研究として、震災と教育をテーマとした。来年度は、別のテーマになる予定だが、その一環として、震災復興が被災者のための復興になるのか、あるいは他の人々が利益を吸い上げる形での「復興」になるのか、検討する必要があると思っている。

 またベストセラーに既になって売れ切れ状態らしいが、たくさんの人にこの本を読んでほしいと思う。

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