教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 大阪の君が代「口元チェック」問題を考える

<<   作成日時 : 2012/08/07 21:39   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 大分時期遅れの話題になるが、この3月に、大阪の府立高校の卒業式で、教育委員会の指示で、各教員が君が代を実際に歌っているか、口元チェックしたことに関連して、大阪の記者が会見で質問したところ、橋下市長がその記者を口汚く罵ったということがあった。これは、橋下流政治を象徴することであると思うし、何度も問題にすべきであると思う。これに関するテレビ放映は、関東ではなかったのだが、大阪の放送局でなされた報道番組を見る機会があったので、その模様を改めて紹介しながら、問題点を考察してみよう。

 番組は、維新の会の議員が、卒業式で実際に教師が歌っているかをビデオに撮るべきだと主張し、条例に決まっていることだとブログで主張したところから始まる。昨年の大阪の条例による国歌斉唱を命ずることを、「実質化」するために政治的な働きかけをしたわけだ。そこで、大阪府の教育委員会から職務命令が出されたとされる。そして、一人の校長が口元をチェックして、教育委員会に報告したわけだ。
 それに関する報道を行った局は、府立高校の校長にアンケート調査を行い、167人中44人から回答があったという。その中で、職務命令を出すことは賛成が半数となっていくたが、口元チェックはやりすぎという見解が多数を占めたという。
 そこで、番組は、歴史を簡単に振り返り、戦前の軍国教育への反省から、戦後しばらくの間、国歌国旗はなくなり、1950年代の学習指導要領で復活したが、教師の抵抗感は続いた。そこで、政府は、国旗国歌法を制定したわけだが、しかし、強制はしないという内閣の方針が明示されていた。番組では当時の野中氏が「強制はしない趣旨」を語っていた。
 番組は職務命令を出すように指示したとされる教育委員会の模様を伝え、そこでは、「(口元チェックを)するかどうかは、校長の判断に委ねた」とするコメントが、番組キャスターの声でなされ、画面では、陰山教育委員の「職務命令は妥当だったという判断でよろしいですね」という委員会をまとめる発言を映し出した。
 そして、そのあとで、橋下市長の記者会見発言となる。それは以下のようなやり取りだった。

−−−
橋下 起立斉唱という言葉の中に、立つという意味しかはいっていませんか。
質問 歌うことを強制することはどうなんでしょうか。
橋下 起立斉唱命令なんです。どうなんですか。教育委員会の決定なんです。起立斉唱命令です。この国語の中で斉唱の命令ははいっていませんか。職務命令で起立斉唱というのが、でているんじゃないですか。子どもたちに歌いなさいと指導して、唇のチェックをしない音楽の教師がいますか。すばらしいマネージメントでいいじゃないですか。その範囲内できちんとチェックした。歌ってないという人をちゃんと報告しているじゃないですか。それマネジメントですよ。条例つくって、歌ってない人を放置していたら、全然法の意味がないじゃないですか。起立斉唱という条例をつくった、歌っていない人をきちんと報告をした、その報告が式を乱さずに、その報告が本人の思想信条を害することなく、本人に歌っていないということを認めさせて報告した、こんな完璧なマネビメントどこにあるんですか。他の47人の校長ってのは、そういう法律の知識がないから、強制しちゃいけないとか、一律にやっちゃいけないとか、そんなことをいっていますが、彼は、緻密に緻密に、論理を構成して、こんなこと、裁判所にいったって、あなたみたいな勉強不足の記者がいくら質問したって、こんな論理は崩せませんよ。僕らは緻密に緻密に、誰からも、どの法学者に言われても、破綻しないような論理を組み立ててきたんだから、そんな勉強不足のね、そんなのが何いったって無理なの。
−−−

 不遜という以外の言葉が見つからないような傲慢な会見であったが、問題なのは、いっていることが、かなりはっきりと間違っていることだろう。
 事実関係としても、
1 教育委員会の命令に従ったのが一人で、チェックしなかった他の校長がおかしい、というのは、教育委員会としては、指示は出すが、最終的には校長の判断に任せる、としているのだから、間違ったことをいっていることになる。
2 合唱の指導をしていて、力量のある音楽の指導者は、歌っている人の「口元チェック」などはしない。出されている「声」に耳を傾けているのであって、音楽は、目ではなく、耳で指導するものなのだ。私はアマチュアオケをやっているのが、優れた指揮者は、全くみなくても、弦楽器奏者がどのような弓使いをして弾いているか、正確に把握しているものだ。
3 もちろん、問題はそういうことではなく、音楽の授業で歌っているかどうかと、式で君が代を歌っているかどうかは、全く次元の異なる「思想」の領域であるにもかかわらず、意図的に異なることを持ち出して、自分の論理を正当化しようとしているところにある。
4 口元チェックをしなかった校長が、法律的知識がないなどということは、いかにも失礼な話で、逆に十分な法律的思考をすることができた人が多いに違いない。法律の専門家では、実際に歌うことの強制は、憲法に違反するという説が多数なのだから、むしろ、多数の校長こそが、法律を正確に理解しているといってもよい。
5 口元チェックが思想信条を害する行為であることは明白である。

 さて、この問題の本質は、国歌斉唱の実際の強制(歌っているかどうかを実際にチェックすること)は、「現代の踏み絵」だという点にある。その意味はふたつに集約される。

 第一に、国歌斉唱の強制は、国歌を重んじるかどうかではなく、権力に服従するかどうかを確かめる行為だという点にある。
 第二に、そのことの裏返しともいえるが、そうした強制をする人たちにとって、実は国歌そのものなど、それほど重要ではないということである。
 江戸時代の踏み絵は、日本人なら誰でも知っている。そして、江戸幕府は、キリスト教の禁止を実効的なものにするために、踏み絵をして、キリスト教を放棄させようとし、しない者を磔の刑に処して抹殺したと、学校でならってきた。
 もちろん、それは間違いではないだろう。しかし、重要な点を実は抜け落ちている。江戸幕府にとって、キリスト教そのものは、実はたいした問題ではなかったともいえるのである。徳川家康も含めて、戦国大名をあれだけ苦しめた一向宗だって、江戸時代にはちゃんと地位を占めていることでもわかる。問題だったのは、キリスト教徒が、幕府の権力に服するかどうかの危惧があった点であり、服することを示せば、それでよかったのである。実際に、踏み絵を踏んだ教徒もいたはずであり、踏んだ以上、更なる追求はそれほどなかったはずである。つまり、踏み絵とは、「服従」の確認であって、「キリスト教を絶対的に捨てること」を求めるものではなかったと考えられるのである。
 つまり、国歌斉唱の強制は、教育行政当局の命令に服従することを求める行為であって、国家を愛しているか、などということは、二の次なのである。

 そこで、当然、職務命令の範囲について確認しておく必要がある。
 今ではほとんどの人が理解していないらしいのだが、職務命令は、どんなことでもできるわけではない。学校に関しては、教育の内的事項については、校長といえども、教諭に対して、職務命令はできないのである。できるのは「指導助言」である。この違いは大きい。
 日本の法令は実に細かいことを規定しているにもかかわらず、校長が職務命令できる内容については、ほとんど規定されるところがない。実に漠然としているのだが、明確に規定されていることは、「校務」に関してである。つまり、「教育」については、教諭等が行うのであって、「教育」そのものについては職務命令を出すことができる規定は存在しないのである。
 式典において、「起立」することと、「歌うこと」は明らかに、「同じ性質」の行為ではない。裁判で争っている当事者の双方が、これを区別しないために、最高裁判決でも、同列で論じられているが、実は極めて大きな相違があるというべきである。
 最も自然に考えて、「起立」することは、式典における礼儀であるが、歌を歌うかどうかは、内面にかかわることである。歌わなくても、礼儀に反することはない。
 よく、国歌斉唱は万国共通の礼儀であるなどという言い方をして、国際的なスポーツ大会での国歌斉唱を例に出す人がいるが、アメリカなどをみればはっきりわかるが、スポーツイベントで、アメリカ国歌は、必ず「歌う人」が登場して、その人が歌うのであって、観衆や選手に歌うことが求められることなど、私が知る限りない。もちろん、一緒に歌う人もいるだろうが、おそらく聴いている人の方が多いのではなかろうか。私はカナダで、高校の卒業式に出たことがあり、もちろん、その中で国歌が歌われる場面があったが、歌っていない人は、少なくなかった。当然のことながら、カナダ国歌やアメリカ国歌は、思想的な争いの対象ではない。
 しかし、明らかに、日本では君が代は、思想的問題であり続けている。そのことは、橋下弁護士は十分承知のはずである。橋下市長は、従って「公務員だから」という理由で、思想問題であろうと、条例という法令で決まった以上、「職務命令」に従う義務が、公務員にはあるという論理を持ち出すわけだ。
 だが、憲法は、憲法に違反する法令は認めないのである。憲法11条は、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」であるとされ、19条は、「思想及び良心の事由は、これを侵してはならない」と規定している。公務員なら、制限してもよい、などということは、どこにも書いていないのである。従って、大阪の条例は、違憲立法審査権での審査対象になれば、少なくとも、斉唱に対する職務命令は違憲となる可能性が高いというべきなのである。

 私は、「起立斉唱」と一括して問題にするのは、間違っていると思う。反対する側も一括して反対しているから、その違いを無視されて、ともに職務命令の対象となるという最高裁判決に帰結してしまったと考えている。
 大阪の番組では、やはり、起立と斉唱は異なるという憲法学者の見解が紹介されていたが、私もそれに同意する。

 以上、公務員だから、思想にかかわっても職務命令には従う義務があるとする橋下市長の主張は、間違っている。公務員であろうと、思想良心の自由は、保障されなければならないし、それを侵すような職務命令をだしてはいけないのである。

 第二の論点は長くなったので、次回とする。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大阪の君が代「口元チェック」問題を考える 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる