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zoom RSS 朝日新聞「報道と人権委員会」の記事-実名報道はどんなときに必要なのか

<<   作成日時 : 2013/03/05 19:13   >>

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 アルジェリアのテロ・人質事件で、被害者およびその関係者が、実名公表を拒んだのに対して、朝日新聞が実名を公表した件に関して、朝日新聞は「報道と人権委員会」というところで、定例会を開き、そのおそらく一部が3月4日付けで、インターネット上で公表されている。(全文は有料らしい。)
 メンバーは
 藤田博司委員(元共同通信論説副委員長)
 宮川光治委員(元最高裁判事)
 長谷部恭男委員(東京大学法学部教授)
というひとたちで、朝日新聞の関係者ではない。朝日としては、第三者の見解を虚心に聞こうということかも知れないが、結局、朝日の対応を支持しているひと達を集めたとしかいいようがない。
 ここで語られていることは、かなり酷いもので、驚くべき「無神経さ」に支配されている。
 まずなぜ実名報道が必要なのか、という点に関して、藤田委員が次のように述べている。

 藤田委員 この問題の大きな前提は、ジャーナリズムの役割は何かという点だ。ニュース報道は公共の関心に応えるためのものだ。情報を広く社会に伝えることは、民主主義を支える条件の一つだ。ニュースの報道は正確な事実に基づかなければならないし、その事実の中には当然、「誰が」という情報が含まれる。
 もう一つのジャーナリズムの役割は、歴史に記録を残す仕事だ。可能な限り、具体的な事実を記録する必要がある。そういう立場に立てば、ニュース報道は実名が原則だ。人権やプライバシーに配慮する必要から匿名にする場合もあるが、それはあくまで例外だ。そう考えると、犠牲者の氏名をなぜ公表する必要があるのか、おのずと答えが出る。
 実名が必要なもう一つの根拠は、それが情報を検証する際の手がかりになることだ。氏名がなければ、情報を検証する手立てがなくなってしまう。
 ここ数年、メディアに対する市民の不信感が広がっているのは、メディアスクラムなど取材過程で生じた人権侵害と見なされるような事態がインターネットなどで一般市民の目や耳に届くようになったのが原因ではないか。


 これは、報道とは何かに根本的に関わっていることであるが、報道に実際に関わってきた人の考えがこうなのだという点で、わかりやすい説明である。しかし、「報道すべきニュースとは何か」を考えるときに、すべてのニュースにおいて実名が不可欠であるとはいえない。むしろ、メディアが報道するニュースにおいて、本当に実名が必要である場合にこそ、実名が語られないで済まされている場合が多く、実は実名が必要ではない、事実を知る上で実名を知ることが意味がない場合に、こうした「実名必要論」が多く語られているというように、私には思われる。
 後者は「犯罪報道」である。犯罪は、どの地域でどのような犯罪が起きたのか、それは解決したのかしないのか、そのことを報道すれば、「知る権利」は私の感覚では満たされる。被害者が誰であるかは、近親者は当然報道ではなく知るだろう。被害者と関係ない人が、その実名を知って何の意味があるのだろうか。実名は、容疑者が逃げていて、逮捕に市民の協力が必要だという事態には必要だろうが、少なくとも警察が隠密に捜査を進めている段階では、容疑者の名前も公表することが、いいこととは思えない。冤罪の可能性もある。
 では、前者はどういう場合か。それは政治的な決定がどのようなプロセスで、誰が関わって決めたのかということ、あるいは、政治の裏側にある腐敗等についての報道である。田中角栄に関する立花隆の報道がなされたとき、多くの新聞記者たちは、「そんなことはとうに知っていた」と弁解したそうだが、それは逆にいえば、知っていてもまったく報道しなかったということである。そのように、権力犯罪に対しては、報道機関は実に弱腰であり、「実名報道」などとりっぱなことをいえないであろう。
 つまり、実名報道をすべて事例とすべきではない事例とを逆転させているのが、現在の多くのメディアなのである。

 次に、最高裁判事だった宮川委員は、次のように述べる。

 宮川委員 さらに、二つの視点があると思う。一つは死者の尊厳という視点だ。単に数としてしか扱わないことは、死んでいった人たちの尊厳を否定するに等しいことではないか。社会は、非業の死を遂げた人々を匿名のまま葬ってはならない。私たちはその名を記憶し、その無念の思いや怒りを共有していかなくてはならない。たしかに少なからぬ人たちが、遺族の方々の悲嘆に心を寄せ、そっとしておいてあげるべきだと考えている。プライバシーを守るためには氏名の非公表も許されると考えている。だが、死者の叫びはどうなるのか。死者は沈黙しなければならないのか。死んだ人たちは語ることができない以上、私たちは代わって語らなければならない。報道機関の役割の一つだと思う。
 もう一つは社会の側からの視点で、事件の全容を正確に知る必要があるということだ。事件の全容とその背景を解明して、再びこのような事態を招かないためには何をすべきかを考えなければいけない。それは社会防衛という点からも非常に大切だと思う。匿名は虚構や隠蔽(いんぺい)を生じさせ、真実を遠ざけることがある。犠牲者の氏名を知り、その人となりや仕事の内容と行動を知ることは、そうした解明作業の基点であるということだ。


 この意見に東大教授の長谷部委員も同調している。

 長谷部委員 新聞もテレビも、現実そのものを生の形で伝えることができない。可能な限り現実から離れずにあろうとすると、現実との係留点になるポイントをいくつか押さえ、受け手に示さないといけない。実名は極めて重要な係留点だ。仮名や匿名では、係留点がぷっつり切れるので、ふわふわ浮かんだようなイメージを伝えることになってしまう。そのようなメディアで健全な民主主義を支えていけるのか。

 しかし、これは当人の意思の尊重という、もっと大事なことを完全に無視している。たしかに「数」としてしか扱わないことは、死者の尊厳に反することは、そのとおりだろう。しかし、「名前」をどこに示されたいかは、当人や遺族の意思によって決められるべきであろう。それを無視して、死者の尊厳を尊重するために、新聞がその名前を書くことが正しい、などと無条件に考えることこそ、死者の尊厳を無視する発想に他ならない。
 また、匿名だと無責任な見解を述べることになる、ということについては、私がパソコン通信をやっていたころに、散々議論されたことだが、そうした考えは、詭弁である。実名で書けば、責任あることをみんなが述べるわけではないし、匿名でも責任ある姿勢を堅持している人も少なくない。面と向かって罵倒する人もいるし、また、嘘をつく人もいる。結局、実名か匿名かではないのだ。
 もし、匿名だと無責任なことを語る可能性があるというなら、この委員会の主催者である朝日新聞の記事をみるべきだろう。
 私は朝日新聞を講読していないので、インターネットでの記事をいろいろとクリックしてみた。少なくとも私が見ることができた範囲で、署名記事はひとつもなかった。もちろん、紙面では署名記事が多くなっていることは知っている。しかし、匿名だと無責任になるというなら、インターネットの記事も全部署名記事にすべきだろう。

 このあと、メディアスクラムなどの話題に移っていくが、要するに迷惑をかけないようにという話に過ぎない。そして、アルジェリア事件で朝日が率先して、当事者たちの氏名非公開要請を無視して、公表したことが記されているが、その氏名公表によって、「大事なこと」がそのことによって新たにわかったのだろうか。少なくとも、私の理解している限りでは、名前がわかった以外の、事件に関する事実、あるいは背景が、そのことによって明らかになったとはとうてい思えない。紙面で公表しなくても、もちろん、記者たちは取材は可能なわけである。

 この座談会でわかったことは、メディアや法律界の上層部のひとたちの「上から目線」の醜悪さである。

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