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zoom RSS 「私的な場での発言」という言い訳は、言論人として失格である証拠

<<   作成日時 : 2015/07/01 21:50   >>

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 百田氏の「沖縄の新聞は2つはつぶれるべき」発言で問題が継続しているが、この間の動きをみていると、百田氏や文化芸術懇話会に出席した自民党議員たちの、言論人、政治家としての資質の欠如を嫌というほど感じる。彼らは、仮面をかぶった言論人、政治家に過ぎない。
 双方に共通する必要条件に、パブリックに関わっているという姿勢がある。百田氏や、大西英男衆院議員には、このパブリックの精神が完全に欠如している。言論人や政治家は、パブリックに関わるひとであり、特に政治家は公人と考えられている。百田氏のような有名言論人も公人と考えられることが多い。公人とは何か。それは、私的領域での発言にも責任を負うということであり、また、かなりの批判にさらされても、それを受け止める姿勢が求められるという点である。アメリカでは、public figure に対しては、かなり激越な批判も許されるとされているし、よほどの酷い非難でない限り名誉棄損にはならないとされている。クリントンが、日本では考えられないほどのメディアの批判を受けたことを、記憶しているひとも多いだろう。
 ところが、百田氏にしても、大西氏にしても、批判されると、すぐに釈明したり、あるいは、居直ったり、私的な会合での発言だとすり替えたりしている。そして、大西氏は、『「全く事実無根の戦争に導く、徴兵制(につながる)と報道している一部マスコミを懲らしめなければいけない」と語った。』とするすぐ下では、『ただ、報道を規制する意図については「まったくそんな考えはない」と否定した。』というありさまである。日本語すらまともに語ることができないことが、これでよくわかる。ちなみにこの報道は読売新聞であり、ある意味、彼らの友軍である。「朝日新聞のいわゆる従軍慰安婦問題を巡る報道を例に挙げ」と書かれているように、朝日新聞が報道しているのではない。だから、正確に報道していると考えてよいだろう。そういう報道の中ですら、まったく矛盾したことを語っている。
 釈明についても同様だ。まっとうな言論人ならば、いかなる場でも、しっかりとした自分の考えを正確に述べるものだ。それは私的な会合であろうが、公的な場であろうが変わりはないのである。公的な場と私的な場での発言内容が違うのだとすれば、それは、その人物のいかがわしさを表す以外のなにものでもない。ところが、百田氏は、真意が伝わっていなかったのだ、「潰せ、広告を出さなければいけない」などということは、否定したはずだ、などと「釈明」しているのである。もっとも、釈明のあとで、同じことを記者に語っているようなので、語るに落ちるわけだが。「真意ではない」などと、釈明しなければならないことを言ったわけだ。こんな人物を言論人として信用できるだろうか。
 「私的な発言だ」と言い訳した瞬間、その人物の「公人」としての資格がないことが暴露されているのである。

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ちなみに大西議員と記者団とのやりとりは、そのまま朝日や産経に載ってるけど、言い訳がましい上に、ものすごい上から目線。
http://www.asahi.com/articles/ASH6Z5QFGH6ZUTFK00R.html
daughter
2015/07/01 23:56

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