教育と社会を考える

アクセスカウンタ

zoom RSS 清原騒動をみて

<<   作成日時 : 2016/02/04 21:52   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 元プロ野球選手の清原が覚醒剤所持で逮捕され、メディアは大騒ぎになっている。しかし、その論調は、的外れではないのだろうが、最も重要な点が触れられていないように感じる。もっとも、清原については、プロ入団のときから、歪んだ報道だらけだったわけだが。
 私は、清原の麻薬や噂されている暴力団とのつきあいは、彼がずっと抱き続け来た劣等感を克服できなかった、あるいは適切に対応できなかったこと、そしてそれが長年続いてきたことによるものだと思っている。清原はプロ野球会の王者であって、劣等感などというのはおかしいと思うかも知れないが、注意してみれば、彼は「ベスト」になったことはないのだ。
 私の教え子に、中学時代清原とリトルリーグで投げ合ったことがあるという学生がいた。今地方の高校で甲子園をめざす野球部の指導をしているが、彼によれば、とにかくすごいピッチャーで、完敗だったそうだ。つまり中学時代から全国的に有名な投手だったのだ。それがPLに入り、桑田とのエース争いに敗れる。これは清原にとって、かなり大きな挫折だったに違いない。結局KKコンビとして脚光を浴びたが、清原がエースになることはなかった。いや、彼は4番バッターとして、甲子園の本塁打記録を塗り替えるような、絶対的な高校生としてのスターだったではないか、という者もいるだろう。しかし、高校までの野球は、もっとも優秀でセンスのある者が投手になるのである。今だってそうだ。清原は4番の一塁手だったが、同時に控えの投手だった。記憶が曖昧だが、実際に甲子園で救援して投げているはずである。
 そして、ドラフトだ。このとき、メディアはこぞって、巨人が清原を指名すべきだったのに、桑田の不正とあいまって、指名しなかった。泣く泣く清原は、西武にいったということになっている。そして、桑田や巨人を批判し、清原に同情を寄せた。しかし、私からみれば、馬鹿馬鹿しい限りだった。巨人は、桑田のほうが優れた選手だったから指名したのであり、桑田は、巨人に指名されない可能性があるので、(世間はすっかり清原指名の雰囲気になっていたのだから)早稲田に志願書を提出していたにすぎない。指名されたから受験しなかっただけのことだろう。それをメディアは不正と騒ぎ立てたが、受験票を出しながら受験しない受験生など、いくらでもいるのであり、受験する義務などないのである。桑田が、早稲田より巨人を選んだというだけのことにすぎなかった。(清原も、曖昧な記憶だが、日生にきまっていて、巨人にいけなかったら必ず日生にいく、というようなことを話していたはずなのに、日生をけって、西武にいったのだが、そのことをどのメディアも疑問としなかった。形式的にいえば、桑田より、筋が通らないのに。)
 とにかく、清原はプロ野球の世界で、冷静にみて、桑田のほうが自分よりも、高い評価をえていることを、実感としてわかったはずである。もちろん、その後の努力で逆転することは十分可能であるし、学生時代の地位が逆転したことなど、いくらでもある。(マー君とハンカチ王子を見よ。)だから、清原が、自分を失わず、懸命な努力を続けていけば、桑田を超えるどころか、真に偉大なプロ野球選手として成長することはできたはずである。しかし、その後の清原は、はっきりいって、そうした道を歩むことはなかった。長島や王、張本、野村が自らに課した厳しい鍛練を、清原が実践しなかったことは、彼の記録が物語っている。西武の全盛時代に中心打者として活躍しながら、清原は一度も打者としてのタイトルをとっていない。こんな一流打者はいないのである。つまり、彼は西武時代を、自分をあまやかし、才能を切り崩しながらなんとかやっていた。もちろん、ずば抜けた才能をもっていたのだし、そこそこの練習はしただろうが、少なくとも自分を甘やかしたことは絶対に否定できないはずである。そういうときにも、メディアは清原を持ち上げ続けた。
 そんな彼が、やっと巨人に入れたとき、そこに松井がいた。そして、すぐに、清原は、松井が自分よりもはるかに怪物の打者であることを自覚せざるをえなかった。当時、清原は、どこかのメディアに、松井のバットのスピードに度肝を抜かれたというような談話をしている。
 つまり、PL時代、巨人時代は、明らかに2番手の選手だったのであり、西武時代は、西武では一番手であったが、そこで慢心してしまい、メディアも「男清原」のような持ち上げ方をして、清原を利用したのだと思う。西部では一番手であったかも知れないが、タイトルをとれなかったことでわかるように、パリーグでの一番手のバッターでもなかった。結局、清原は、決してベストの選手になったことはないのである。
 もちろん、西武にはいって、自己に厳しく、激しいトレーニングをすれば、ベストになれる才能は十分にあった。しかし、彼がそうしたとはとうてい思えない。しかし、2番手ではあっても、その重要さを十分に理解して、2番手としてのベストを目指すという意味での、精神的な充足感をえる道もあったはずである。
 『アマデウス』という映画がある。史上最大の天才作曲家モーツァルトと、同じ時代に生きたサリエリのコンプレックスに満ちた人生を描いたものだが、実際のサリエリは、コンプレックスから自殺をしたわけでもなく、現実生活のなかでは、モーツァルトよりもずっと恵まれた生活を生涯営むことができた。そして、サリエリは、モーツァルトの才能を十分に理解し、自分の限界を知っていたが、しかし、自分の領域ではきっちりと仕事をした。ベートーヴェンやシューベルトを教えたのはサリエリである。
 おそらく、清原には、長島や王に近づく才能はあったに違いないが、やはり、努力そのものはとうてい及ばない程度のもので、それにもかかわらず、まわりは「天才」を褒め、彼を増長させたのではないか。しかし、どんなに褒められても、あるいは、褒められたが故に、自分の位置を自分でごまかすことはできなかったのではないか。そして、自分のコンプレックスを乗り越えることができないまま、次第に力を低下を来し、そして、後戻りできない泥沼に落ち込んだのだと思われる。
 虚像を実像にするために、死に物狂いの努力をするのもひとつの道だが、虚像を自分のなかで否定し、実像を踏まえた人生を歩むことも、りっぱな道なのではないか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
清原騒動をみて 教育と社会を考える/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる