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zoom RSS 福島避難者へのいじめを考える

<<   作成日時 : 2017/03/21 22:05   >>

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最近話題になることが少なくなったが、福島の人に対するいじめ・差別意識について、メディアの報道については、何となくすっきりしないものを感じていた。もちろん、福島からの避難者であることを理由にいじめたり、差別したりする当事者は、強く批判されるべきであり、許されないことであるが、むしろ、政治家やメディアにそうした意識があるのではないかと感じるのである。
 最も典型的なのは、オリンピック招致を決めた場での安倍首相と猪瀬元東京都知事の発言である。原発被害を受けるのではないかという、国際的危惧があったのだろうが、安倍首相は、「福島は完全にコントロールされている」と安全を強調し、猪瀬都知事(当時)は、「東京は福島から200キロも離れている」と同じく安全を強調していた。ともに安全を強調している点では同じだが、前者は、「嘘」であり、おそらく、当時あの発言を聞いた者のほとんどは、びっくりしただろう。「完全にコントロール」など全くしておらず、懸命な作業も、直ぐにだめになったりの連続で、試行錯誤が続いていたのだから。また、後者は、明らかに「差別」発言であった。東京は「遠くだから安全だ」というのは、福島は危険だが、という裏の意味を含んでいる。少なくともオリンピックを招致するためなら何を言ってもいいと思っていたり、招致が決まったのだからうれしくて、他のことはどうでもいいなどと思っている人以外は、あの発言を不快に感じたはずである。
 多くのメディアもそれほど変わらない。リオに決まったときにも、東京は立候補していたはずだが、そこで落選し、また、次もなかなか決まらず、マドリッドやイスタンブールが先行しているとみられていたのは、日本人のオリンピック支持が低かったからである。特に、震災後は復興こそが大事だという意識が強くなっていた。その低支持率を変化させたのは、メディアによる大宣伝であった。「復興のためのオリンピック」とか、「オリンピックで被災者に勇気を」などと盛んにメディアはオリンピック支持を煽った。しかし、昨年の予算や会場問題の経緯をみれば、そんな意識が関係者にほとんどないことは明らかだろう。
 近年、オリンピックに立候補する都市が極端に少なくなり、また、立候補しても住民の反対が強く断念するところが増えているのも、オリンピックそのものが「利権化」しているからである。昨年の予算オーバー現象は、たまたま起きたのではなく、オリンピックそのもの、そして、特に東京に招致した人たちの思惑からして、必然的に起きたことである。
 「復興が大事だ」という声に対して、「復興のためのオリンピック」などという、とうていありえないスローガンをひねり出して招致した経過そのものが、福島差別の温床をつくりだしたひとつの原因なのである。このようなことを無視して、個人のいじめや差別意識を非難するのは、問題解決にはつながらない。

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