最近の日韓関係に思う1

 小室圭氏の声明に関して、「ダイヤモンド・オンライン」で、窪田順生氏が、致命的ミスとして、「傲慢な表現」を用いたことをあげている。その傲慢な表現とは、「解決済み」という表現で片づけていることをさしている。(https://diamond.jp/articles/-/191744?page=2
 ところで、この表現は、近年の日本人にとっては、実におなじみの、繰り返し用いられている言葉だ。窪田氏によれば、この言葉を使うと、問題解決は確実に遠ざかってしまうのだそうだ。
 いうまでもなく、繰り返し使われているのは、韓国での徴用工訴訟判決に対して、日本側が、個人賠償は解決済みであると使っているわけである。この判決に対する対応は、おそらく、日本中がだいたい足並みを揃えており、朝日・毎日と産経・読売の社説がほぼ同趣旨になっているという、極めて珍しい事態になっている。
 問題は多岐にわたるし、私自身は、この専門家でもないので、詳しいことは言及できないが、いろいろと調べてみたので、それも踏まえて、自分なりの見解を書いておきたい。
 日本企業で働いていた半島の人たちが、自発的であったか、あるいは、強制的に駆り立てられたのか、ということは、多様な場合があったろうし、また、客観的な状況と本人たちの受け取りの相違もあるだろう。また、たとえ強制的な事例があったとしても、それを補償させるという政策をとるかどうかの見解も、みな同じというわけではないだろう。
 とにかく、日本が戦争に敗れ、朝鮮半島は植民地から脱した。日本は韓国や北朝鮮と戦争をしていたわけではないから、講和条約の対象ではないし、そこで決められた賠償等の原則は、そのまま適用されるわけではなく、独自に、条約として結ぶ必要があったわけである。被植民地だった地域が独立をするに際して、植民地支配国に対して、植民地時代の被害請求をした例は、極めて少ないはずなので、その扱い自体が異例だったと考えられる。
 朝鮮半島の人々が、日本の植民地支配を受けたことと、日本の戦争に否応なく巻き込まれたことによって、甚大な被害を受けたことは、もちろんのことである。他方、半島の人々にとって、肯定的に評価されないとしても、日本の植民地政策で、様々な投資が行われ、それが半島の近代化を推進したことも否定できない。そうした投資は、おそらく他の植民地帝国よりもずっと大きかったろうから、植民地を失ったときの喪失感が、日本もまた大きかったのだろう。こういうなかで、独立した韓国は、受けた被害の賠償を求めた。また日本でも、半島に投資した分を喪失した企業や人は、その補償を求めたいと思っただろう。
 徴用工判決で、「解決済み」を連呼している政府の説明からは伺うことはできないが、実は、この補償問題に対する、当時の日本政府は、その財政的状況から仕方ない面があるとしても、決して、高い評価をあたえることができるものだったとはいえない。
 日本という国家のなかでも、実は大多数の人々や企業は、戦争の被害者だった。そして、戦争の被害といっても、戦争である以上仕方ない被害、戦死等と、戦争といえども、許されない戦勝国の行為によって生じた被害とは、その補償の仕方は区別される。日本が不当な戦勝国の行為によって甚大な被害を受けたのは、原爆投下と、シベリア抑留である。したがって、日本政府が戦争による被害を補償するとしたら、その対象は、
ア 日本が戦争によって、他国にあたえた物的、人的被害
イ 日本が戦争によって、日本自体にあたえた物的・人的被害
ウ 敵国による正当視されない攻撃や行為によって、日本人に加えられた被害
がある。
 朝鮮半島の人々にあたえた被害は、イに当たるだろう。
 アは、講和条約によって処理されるべき事項であり、サンフランシスコ条約によって規定され、日本はそれを実行した。しかし、第一次大戦の教訓から、その賠償は低く抑えられたといえる。
 さて、イとウに関して、日本政府は、積極的に補償しようとしたとはいえない。
 日本政府は、サンフランシスコ条約と日韓条約における「請求権」の消滅は、「外交保護権」の消滅であって、被害者個人の実体的権利の消滅を意味しない、と繰り返し主張し、国会でもそのように答弁している。外交保護権とは、個人が外国から不当に権利を侵害され、被害を受けたときに、その賠償請求を国家が保護的に行うことを意味している。つまり、それが消滅したということは、原爆被害者やシベリア抑留で被害を受けた個人の救済のための、賠償請求を、日本政府は行わないというのが、「消滅」である。個人の実体的権利侵害に対する補償請求権は、個人的には消滅していないが、国家はそれを外交的保護として行わないから、個人が勝手にやれということになる。これは、日本企業や日本人が半島に財産を残してきても、その補償は、国家は関わらない、個人でやる分には、権利は消滅していないということも意味した。
 これは、現在の争いでみれば、韓国側からも、個人が日本の国家や企業に対して、個人の被害の賠償を請求する権利は否定しないという意味になるのである。だから、本来的には、韓国人があのような訴訟をおこす権利を認めていることになる。
 しかし、ここに、日本政府のいう「解決済み」のからくりが登場する。
 日韓条約では、
・日本は無償で3億ドル、有償で2億ドル韓国政府に支払う。
・両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
ことを規定したわけである。ここに、完全かつ最終的に解決された、と書いてあることを、日本政府は繰り返していることになる。しかし、実は、ここでの請求権は、あくまでも「外交保護権」の消滅であり、個人の実体的権利は消滅していないと、強固に主張していたことは、既に述べた。だから、この文言だけでは、日本政府の主張は成立しないのである。
 では、何故日本政府は、個人の請求についても解決済みだというのだろうか。
 それは、交渉過程のなかで、合計5億ドルの支払いによって、韓国政府が、韓国人の日本に対する請求に対して、代わって支払うという「合意事項」があるからである。そして、それは、長く公表もされずにいた。韓国と日本から「議事録」が公表されたことによって、確認されている。開示文書によれば、当初、韓国の要求は7億ドルであり、日本は数千ドルしかだせないとしており、極めて大きな隔たりがあって、条約締結まではかなりの長い期間がかかった。しかも、韓国は「賠償」を、日本は「経済援助」という言葉に固執している。
 そうした大きな隔たりから、日韓条約の交渉は紛糾し、長くかかった。私は高校生だったが、日本の国会では、強行採決だったことをよく覚えている。韓国側も強行採決だったはずである。つまり、両国民から大きな批判を受けた条約だったことは否定できない。極端にいえば、日本企業が半島に投資した資産について、無条件に放棄させられたことについて、不満があってもおかしくない。韓国側に、個人請求権が消滅していないとすれば、日本側の個人請求権も消滅していないことを、承認させることも、論理的にはありえる。
 もちろん、日韓条約は厳然たる国家間の正規の手続きを踏んだ条約であって、その際に、日本側の提供した資金を使って、韓国人の個人請求権に対しての支払いをするという「約束」があったことは、双方が認めているのだから、その線が基本になることはいうまでもなく、韓国最高裁の判決を韓国政府がそのまま受け入れることは、国際的信義に悖る。
 だからといって、日本政府が、「問題は完全に解決済み」という言葉を繰り返すだけでは、拗れるだけだろう。

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